国の成り立ち(4)補足2ー奄美復帰ー

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    前回に続いて、「沖縄に託された潜在主権」の補足資料となります。
    私にとって身近な奄美を中心に、南西諸島が米軍政下に置かれてから本土復帰までの流れを辿ってみました。

    本土と行き来するにはパスポートが必要だったそんな時代。施政権を日本が取り戻すまでに必要だったものは、何よりも、日本へ帰りたいという住民の強い意志でした。

    奄美では、奄美共産党や社民党が日本復帰運動の骨組みを作った一面も垣間見えます。革命への引力よりも郷土や国を愛する心が勝り、他の住民と連帯して復帰運動を起こしました。

    大切なのは、元の国へ戻りたいという声を繰り返し挙げる、その姿勢を変えない、そこにあると思います。自分達の行動の目的は何かをよく見極めなければいけません。

    国際社会に翻弄されるこれらの島々は、行方を決めるもうひとつの力、住民の声も内包していました。
     


    国の成り立ち(4)補足1ー天皇メッセージー

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      記事「沖縄に託された潜在主権」の補足資料です。
       

      沖縄は沖縄戦以後そのまま米軍政下に置かれたものの、終戦後27年という短期間で、平和裡に本土復帰を果たしました。

      伏線となった昭和天皇の意向が米国の公文書として残されています。「利己心」という記述が度々物議を醸していますが、これは天皇の真意を測り兼ねて、「疑いなく利己心あり」と決めつけてしまったのでしょう。実際は両国の状況を考慮した深い洞察力からくるもので、のちの講和条約米国全権大使ダレスを「以前の国際法には見られない表現だ」と感嘆させました。訳する時も痛感しましたが、我田引水にならないようにするのは、中々に難しいものです。そして、分かり切っていることを説明することも難しい。


       

      1947年9月19日。

      宮内府御用掛の寺崎英成が、日本橋三井ビルの3階までシーボルドGHQ政治顧問兼外交局長を訪ねてきた。その目的は、琉球諸島の将来に関する昭和天皇の意向を伝えることにあった。

      「天皇メッセージ」と呼ばれるその文書は、使者の訪問を受けたウィリアム・J・シーボルドの国務省への報告書と、付随のマッカーサー宛の会談メモからなる。30日には国務省極東局へと届けられた。

      【米国国立公文書館保管報告書】
       クリックで原寸大コピーが表示されます(PDF文書)【資料コード:0000017550】


          


       

      【9月22日にまとめられた国務省への報告】(とその和訳)

       UNITED STATES POLITICAL ADVISER

      FOR JAPAN

      Tokyo, September 22,1947.

      Subject Emperor of Japan’s Opinion Concerning the Future of the Ryukyu Islands.

      The Honorable

              The Secretary of State,

                       Washington.

      Sir

       I have the honor to enclose copy of a self-explanatory memorandum for General MacArthur, September 20, 1947, containing the gist of a conversation with Mr. Hidenari Terasaki, an adviser to the Emperor, who called at this Office at his own request.

       It will be noted that the Emperor of Japan hopes that the United States will continue the military occupation of Okinawa and other islands of the Ryukyus, a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest. The Emperor also envisages a continuation of United States military occupation of these islands through the medium of a long-term lease. In his opinion,the Japanese people would thereby be convinced that the United States has no ulterior motives and would welcome United States occupation for military purposes.

      Respectfully yours,    

               W. J. Sebald

               Counselor of Mission

      1947年9月22日 東京 

      主題:琉球諸島の未来にかかわる日本の天皇の見解

       米国政府国務長官閣下

       拝啓

       私は、1947年9月20日にマッカーサー元帥に宛ててしたためた、御覧の通りの覚書のコピーを同封することを光栄とするものです、要請の上、当事務所まで訪ねてきた天皇の御用掛の寺崎英成氏との会話の要旨が含まれております。

       沖縄及びその他の琉球諸島への軍事占領をアメリカが継続するよう日本の天皇が希望していることが記されており、疑いなく利己心に大きく基づく希望です。天皇はまた米軍が行うそれらの島々の軍事占領は長期の租借という手段を通して継続していくことを思い描いています。天皇の見解では、それによって日本国民は米国には隠れた動機が何もないと納得し、米国の軍事目的による占領を歓迎するだろうとのことです。

      敬具

      任務参事官  W. J. シーボルド

      【同封の9月20日にマッカーサー元帥宛に記した会談覚書のコピー】(とその和訳)

       GENERAL HEADQUARTERS

      SUPREME COMMANDER FOR THE ALLIED POWERS

      Diplomatic  Section

      20 September 1947

      MEMORANDUM FOR : General MacArthur

       Mr. Hidenari Terasaki, an adviser to the Emperor, called by appointment for the purpose of conveying to me the Emperor's ideas concerning the future of Okinawa.

       Mr. Terasaki stated that  the Emperor hopes that the United States will continue the military occupation of Okinawa and other islands of the Ryukyus. In the Emperor's opinion, such occupation would benefit the United States and also provide protection for Japan.  The Emperor feels that such a move would meet with widespread approval among the Japanese people who fear not only the menace of Russia, but after the Occupation has ended, the growth of rightist and leftist groups which might give rise to an "incident" which Russia could use as a basis for interfering internally in Japan.

       The Emperor further feels that United States military occupation of Okinawa(and such other islands as may be required) should be based upon the fiction of a long-term lease -- 25 to 50 years or more -- with sovereignty retained in Japan.  According to the Emperor, this method of occupation would convince the Japanese people that the United States has no permanent designs on the Ryukyu Islands, and other nations, particularly Soviet Russia and China,would thereby be estopped from demanding similar rights.

       As to procedure, Mr. Terasaki felt that the acquisition of "military base rights" (of Okinawa and other islands in the Ryukyus) should be by bilateral treaty between the United States and Japan rather than form part of the Allied peace treaty with Japan.  The latter method, according to Mr. Terasaki, would savor too much of a dictated peace and might in the future endanger the sympathetic understanding of the Japanese people.

      W. J. Sebald

      1947年9月20日

      マッカーサー元帥宛ての覚書

       天皇の御用掛の寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する天皇の意向を伝える為に、約束のうえ訪ねてきました。

       寺崎氏は、沖縄とその他の琉球諸島を米国が軍事占領し続けることを天皇は希望していると述べました。天皇の見解では、そのような占領はアメリカへ利益をもたらし、また日本を保護するだろうとのことでした。ロシアの脅威だけでなく、占領が終了した時右翼や左翼の団体の伸張がいかにも「偶発的な事件」を起こして、ロシアがそれを日本への内政干渉の根拠に用いることをも恐れている日本国民から、この動きは広く支持されると天皇は感じています。

       

       天皇は、米国の沖縄(及び必要とされる可能性のある他の諸島)に対する軍事占領は、日本に主権を残して25年から50年又はそれ以上の長期租借という擬制に基づくべきだと大いに感じています。天皇によれば、この占領方式は琉球諸島に対する恒久的な企てをアメリカは持っていないと日本国民に納得させ、それによってソビエトロシアや中国をはじめとする他の諸国が類似の権利を要求することを封じるだろうとのことです。

       手順に関して寺崎氏は、沖縄とその他の琉球諸島の「軍事基地権」は日米相互条約によって獲得するべきだ、連合国と日本との平和条約に組み込まれてよりもと感じていました。寺崎氏によれば、後者の方法は押し付けられた講和という感が強いだろうし、将来、日本国民の好意的な理解を危うくする恐れがあるとのことでした。

      W.J.シーボルド

       

       


      国の成り立ち(4)〜沖縄に託された潜在主権〜

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        潜在主権という概念

        沖縄・奄美・小笠原は先に潜在主権のみ日本の元に回復されていた。

         

        講和条約の調印の場では、日本の主権回復と同時に、既に放棄した領土も含めて日本領の処遇が正式に再定義された。その内の米軍軍政下にあった島々はアメリカが施政を司ることが確認された。

        その範囲は北緯29度以南の南西諸島(沖縄 (琉球諸島) と奄美群島(奄美本島を含めた南側))及び小笠原諸島となる。

         

        日本に施政権はない。固より主権も日本は持つ事はできない。

        それが国際的な常識であるところ、昭和天皇は「潜在主権」という今までない概念をいち早くアメリカに提唱していた。

        そのことが後の本土復帰へと結び付いたと言われる。

         

        ソ連や中国共産党などの脅威に囲まれる中、この時、沖縄の主権を強引に取り戻したとしても、独自の軍を持たない日本は守り切れなかっただろう。

        アメリカがまず、沖縄を手放そうとしなかったのだから、施政権だけ日本へ移そうとしても敵わなかった。

         

        昭和天皇が提唱された潜在主権について詳しく見てみたい。

        もう一度、時間軸に沿って時をさかのぼろう。

         

         

         

        終戦まもない1947年、9月。前年末からシベリア等抑留地からの引き揚げが始まっていた。

        すでに連合軍が占領軍として日本へやって来た時から、沖縄・奄美・小笠原は米軍政下に置かれていた。

         

        世界情勢は依然、予断を許さなかった。

        日米共通の目的は、ソ連や国共内戦を制しつつある中国共産党が日本へ進駐する機会を与えないこと。米軍が撤退すれば過激な右翼左翼どちらかが事件を起こし、それを土台に内政干渉してくることを懸念していた。

         

        昭和天皇は、講和条約は日米の二国間条約で締結することを望まれていた。

        アメリカの沖縄占領は、日本に主権を残し長期租借という形で行うということ。今そこにある危機。戦後復興における日本の安全保障の危機から守るためであった。

         

        米軍部の目指すものは軍事拠点を置く「戦略的な信託統治」。国連の安全保障理事会への毎年の報告と審議を受けることがどうしても必要となる。そうなればソ連が拒否権を発動することが予測される。

        軍部内には、決して沖縄を他国の軍事基地として使わせてはならないという決意があった。

         

        9月19日。

        宮内府御用掛の寺崎英成は、昭和天皇の考えを携えて、GHQ政治顧問兼外交局長のウィリアム・シーボルドを日本橋三井ビルまで訪ねてきた。シーボルドにその意向を直接伝えるためだ。

         

        「沖縄の将来は、日本に主権を保持したままアメリカが25年から50年、あるいはそれ以上の長期租借という擬制によって、軍事占領が行われる必要がある。このことによって、日本国民は米国に沖縄諸島での恒久的な企てが無いことを納得し、他国、特にソビエトや中国による同様の権利の要求を封ずることができるであろう。このような占領は米国の利益となるとともに日本に防衛力を提供することになる」

        また、この会談の中で、寺崎氏は「軍事基地権」の取得手続きは、日本と連合国との平和条約の一部に含めるのではなく、むしろ米国と日本の二国間租借条約によるべきだと感じたという。前者の方式では、押しつけられた講和という色合いが強すぎて、近い将来日本国民の好意的理解を危うくする恐れがあった。

         

        国と国民の安寧を守ることに日夜心を砕いてこられた昭和天皇。

         

        この昭和天皇が提唱された方式を「潜在主権方式」という。日本に主権が潜在的にあることが前提の契約。

        条約締結と同時に主権は日本の元に戻ることで、実質日本から連合国が租借する形となり、その上でアメリカが代表して沖縄を司ることを目標に据える。

         

         

         

         

         

         

        サンフランシスコ講和条約(平和条約) 

        締結日:1951年9月8日

         

        第三条

         日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)孀婦岩(そうふがん)の南の南方諸島(小笠原諸島、西之島及び火山列島を含む)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

         

         

         

        「潜在主権は日本にあり」という文言は、講和会議の米国及び英国全権大使が9月5日に述べた演説の中に出てくる。この文言は各国間の遣り取りの中で何度も丁寧に確認されているのが見て取れる。

         

        【サンフランシスコ講和条約 ダレス米国全権演説】1951年9月5日

        (3条関連部分を抜粋)

        第三条は、琉球諸島及び日本の南及び南東の諸島を取り扱っています。これらの諸島は、降伏以降合衆国の単独行政権の下にあります。若干の連合国は、合衆国主権のためにこれらの諸島に対する主権を日本が放棄することを本条約の規定とすることを力説しました。他の諸国は、これらの諸島は日本に完全に復帰せしめられるべきであると提議しました。連合国のこの意見の相違にも拘わらず、合衆国は、最善の方法は、合衆国を施政権者とする連合国信託統治制度の下にこれらの諸島を置くことを可能にし、日本に残存主権( residual sovereignty )を許すことであると感じました。

         

        【サンフランシスコ講和条約 ケネス・ヤンガー英国全権演説】1951年9月5日

        (3条関連部分を抜粋)

        琉球及び小笠原諸島に関しては、この条約は、これらの島嶼を日本の主権の外においては居りません。この条約は、北緯二十九度以南の琉球諸島を引き続き米国政府の管轄下に置くこと、即ちこれらの琉球諸島の中、日本に最も近い部分は、日本の下に残して置くばかりではなく、日本の行政権の下に置いているのであります。

         

        【サンフランシスコ平和会議における吉田茂総理大臣の受諾演説】1951年9月7日

         奄美諸島、琉球諸島、小笠原諸島その他平和条約第3条によって国際連合の信託統治制度の下に置かるることあるべき北緯29度以南の諸島の主権が日本に残されるというアメリカ合衆国全権及び英国全権の前言を、私は国民の名において多大の喜をもって諒承するのであります。私は世界、とくにアジアの平和と安定がすみやかに確立され、これらの諸島が一日も早く日本の行政の下に戻ることを期待するものであります。

         

         

        結果として、今に至るまで国連機構における手続きは行われず、沖縄が国連の信託統治領に置かれることはなかった。

        長く要衝の地として、米軍の管理下に置かれた沖縄。歴代の首相はこの「潜在主権」を切り口に、アメリカへの沖縄返還要求を継続していった。

         

        そして平和裡に、沖縄は日本の元へと帰ってきた。冷戦はまだ続く中、わずか20年で祖国復帰を実現させたことになる。

         

         

        国とは何かという探究と合わせて、昭和天皇は実に優れた感覚を持つ統治者であらせられた。そのことを申し上げたくて、ここまで書かせていただきました。次回からは、その戦勝国側から取り戻すきっかけとなった意向の詳細など、資料の補足をしていけたらと思います。

         

         

         

         

         

        *1946年1月26日、連合軍総司令部との覚書により、日本の小笠原諸島への施政権は停止された

        *1946年2月に北緯30度以南の南西諸島は行政分離されて米軍の統治下に入った(トカラ列島は、講和条約締結に伴って一足早く日本へ復帰した(1952年2月10日))

         

         

        *本土復帰の日*

        施政権の日本への返還

         

        奄美1953年12月25日

        小笠原1968年 6月26日

        沖縄1972年 5月15日 

         

         

         

        参考Web:Wikipedia(フリー百科事典)・・・・・・・・・・・・・

        blog「農と島のありんくりん」・・・・・・・・・・・・

        blog「沖縄対策本部」内記事・・・・・・・・・・・・・

        『沖縄祖国復帰を実現に導いた昭和天皇の「潜在主権方式」のご提案』

        blog「日本史ー今日子センセのワンポイント授業」内記事

        『沖縄とサンフランシスコ平和条約』


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        国の成り立ち(3)〜日本の主権回復〜

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          占領されれば主権は一旦喪失します。

          日本は終戦後、アメリカを主体とする連合軍に占領されました。

          以下,再び主権を取り戻すまでを辿ってみます。

          主権は施政権よりも先に喪失する

          内政より対外的な面の主導を取り戻しにくい。

          連合軍による直接統治は日本政府の反対により、なんとか断ることができた。

          但し、北緯30度以南の南西諸島及び小笠原諸島は、この時から米軍政下に置かれるようになる。

          本土は、施政つまり内政は、GHQ(極東軍総司令部)の指導の下でそのまま日本政府が行う形の間接占領統治方式で行われた。その一方、主権は殆ど失ったまま時は流れる。

          日本は自衛隊発足まで長らく軍を持たず、対外向けの外交は、GHQを通して行うこととなる。

          1951年9月8日  サンフランシスコ講和条約締結

               アメリカを始めとする連合国諸国と日本との間に結ばれた平和条約

               互いの全権大使が署名することで条約が結ばれたことになる

               この条約を批准した連合国は日本国の主権を承認した

               同日    日米安全保障条約締結

          1952年4月28日 サンフランシスコ講和条約発効・主権回復及び国交回復

                    (「昭和27年条約第5号」として公布される)

               調印・批准を行った多くの連合国と日本との間の「戦争状態」は、

               この条約の発効をもって終結した

          沖縄や奄美、小笠原諸島は、条約発効時から正式にアメリカの管理下に置かれることになる。これら島々の施政権はそれまでと同様米国が握る。本土復帰までは、時を待たなければならない。その道は険しいながら、この時、ある布石が打たれていた。

          【補足:講和条約を結ばなかった国々との関係】

          ソ連と幾つかの東欧諸国、中国(中国共産党)と台湾(中華民国)の二国、及びビルマ、インドネシアなどの国々は調印せず、あるいは会議へ招聘されなかったり、批准しなかったりであった。後年、個別に結んだ条約や合意によって戦争状態は終結することとなる。インドは参加こそしなかったものの、条約発効後、自主的に戦争状態の終結を宣言している。

          台湾(中華民国)とは講和条約発効日に合わせて、日華平和条約を結ぶことができた。その後、日中国交回復(1972年)により、日本と台湾は国交断絶となる。


           

          【補足2:「日華平和条約」締結の意義】

          台北駐日経済文化代表処:台湾週報より(総統府 2009年4月28日)

          「馬英九総統が台北賓館で「日華平和条約」締結の意義を語る」


          リンクを貼っておきます。

          何だか感動してしまったので。

          民進党(民主進歩党)が躍進し、蔡英文氏が台湾総統となることが決まりました。これで馬英九率いる中国国民党が敗退した訳です。

          総統に就任した当時の馬英九氏は当初中国寄りではなく、日本寄りでもなく、自分の国を愛し、「日華平和条約」の果たした重要な役割を理解しています。また、そこから今に繋がる台日双方の交流の活発さを喜びとしています。

          しかし、惜しからんや。愛した国とは「台湾」ではなく、あくまで「中華民国」としての国でした。中華民国は、支那大陸統一という理想の下に建てられました。国民党が台湾に来たのは内戦の結果、おちのびてきたようなもの。中国共産党との内戦状態は李登輝総統が一方的に終結を宣言した1991年まで続きました(戒厳令体制解除)。それまでの共産党との長い戦いの歴史を見るに、台湾を守るという視点を欠いています。

          その為、年月が経てばたやすく経済面から中国大陸寄りの政策に傾き、国民の支持を失ったのでしょう。

          国も人も時の流れの一瞬のみに目を向けると、それ以上推し量ることができません。

          対照的に、民進党が掲げているのは「台湾の主権独立」です。

          台湾の統治は、日本政府から中国国民党(外省人主体)、そして戦前からの台湾人(内省人)の元へ還ったことになります。中国共産党の口をはさむ隙はなくなりました。日本が中国へ遠慮する理由も。今だ日本政府として公式に台湾を国家と認めていないのですから。

          今ならば、これを機会に台湾との国交回復が成るのではないかと期待しています。合わせて独立するために必要な、中国以外との経済的な交流や発展の手助けをすることが必要です。
          李登輝総裁はそれまでの建前であった、「中華民国は中国全土を代表する政府」から「現実外交」へシフトしたという側面もあります。
          日本を慕っていてくれることに感謝するだけでは駄目です。

          長くなりました。

          この日華平和条約にまつわる話の中で、降伏後に手放した領土を誰に譲渡するかを日本が言わなかった理由を問えば、当時の英国と米国の重要な理念と戦略によるものだったと述べています。複雑ゆえに、同意ある部分のみ講和会議では決めて、その他については、個々二国間条約で処理することとなったのです。

          次回は、その互いの思惑が交叉する国際社会に置かれた日本の選んだ道について述べていきます。


           


          ー8月17日ー東久邇宮内閣が成立(転載)

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            『再現日録』終戦からの31日間

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            (2)1945年8月17日 東久邇宮内閣が成立

             鈴木貫太郎内閣の総辞職を受けて東久邇宮稔彦王を首班とする新内閣が17日に成立、内閣制度が始まって以来初の皇族内閣が誕生した。

             新首相は軍の武装解除など終戦にかかわるさまざまな処理と占領軍を迎える役割を担う。外相は重光葵元外相が復任した。

             57歳の東久邇宮稔彦王は久邇宮朝彦親王の九男として生まれ、1906年に東久邇宮家を創設した。陸軍大学校卒業後に明治天皇の皇女と結婚。20年から27年までフランスに留学し、帰国後は陸軍航空本部長などを歴任。

             皇族の中でも自由主義的な思想を持っているとされ、41年の対米開戦には反対していたとされる。同年の近衛文麿内閣の総辞職後は首相候補にも名前が挙げられた。

             しかし、昭和天皇は「軍が絶対的に平和保持の方針で進むというなら」よいが「皇族総理の際、万一(対米)戦争が起きると皇室が開戦の責任をとることとなるので良くない」として反対し、東条英機内閣が誕生した経緯があった。

             一方、日本の軍政下にあったインドネシアは17日、独立宣言を出した。

                  ◇            ◇

             「昭和天皇独白録」によると、41年10月の時点で対米開戦をめぐる皇族の意見は、高松宮は「戦争論者の一人」、「東久邇宮、梨本宮、賀陽宮は平和論者だった」。
             

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            転載元:南日本新聞 2015年8月17日掲載分
             

            ※東久邇宮=ひがしくにのみや

             稔彦王 =なるひこおう

             賀陽宮 =かやのみや

             

            ※葵=あおい、まもる
             

            Key word:国の成り立ち


             


            ー8月16日ーソ連 北海道占領要求(転載)

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              去年は戦後70年ということで歴史を振り返る多くの企画がありました。

              こちらはそのひとつ、地元の新聞の連載記事となります。少しずつ転載という形でご紹介していけたらと考えています。
               


               

              『再現日録』終戦からの31日間

              ______________________________________

               70年前の夏、ポツダム宣言受諾とともに日本政府は占領軍受け入れを進めるが、満州や樺太などで悲劇はなお続いた。虚脱と混乱、そして希望の芽吹きが織りなす8月16日からの31日間を現代の記事スタイルで再現する。

              ______________________________________

              (1)1945年8月16日 ソ連 北海道占領要求

               ソ連のスターリン首相(共産党書記長)は16日、日本占領政策をめぐり、トルーマン米大統領に対して「日本軍がソ連軍に降伏すべき地域の中に北海道の北部を加えること」を要求した。これは北海道の北半分をソ連が占領統治する提案で、境界線は「東は釧路、西は留萌に至る線とし、釧路と留萌の両市は北半分に属する」としている。

               トルーマン大統領が連合国各国に送った「一般命令第1号」は、日本軍が降伏すべき相手を以下のように定めている。

               (1)中国、台湾および北緯16度以北のインドシナは蒋介石(中華民国主席)軍(2)満州、北緯38度以北の朝鮮、樺太はソ連軍(3)北緯16度以南のインドシナ、ビルマからソロモン諸島に至る地域は英軍かオーストラリア軍(4)日本本土、フィリピン、北緯38度以南の朝鮮においてはマッカーサー元帥率いる米軍。

               スターリン首相は(2)について同意しつつ、北海道北部と「千島列島全部」を加えるよう求めた。この日、日本では特攻隊の創設者とされる大西滝治郎海軍中将が官舎で自決した。

                    ◇            ◇

               スターリン提案をトルーマンが受け入れていれば、北海道北部は戦後,共産圏に組み入れられた可能性もある。しかし、トルーマンは約2週間、スターリンと電文で応酬した末、北海道をめぐる要求を退けた。

              ______________________________________

              転載元:南日本新聞 2015年8月16日掲載分

              ※留萌=るもい
               

              ※サイト内参考記事「歴史探訪〜ヤルタ密約〜」



               

              Key word:国の成り立ち


              国の成り立ち(2)〜東アジアを中心に・近代から終戦にかけて〜

              0


                文明と文明の衝突は、統治の有り様を変えてきました。近代以降は今までにない形のものも出てきます。

                主権と施政権の関係

                携帯や車に例えると、分かりやすい。
                所有者が「主権を持つ者」で、実際の使用者が「施政権を行使している者」となる。

                第2次大戦終戦時においての東アジア及び東南アジアの状況を見てみますと、日本の勢力図と重なります。

                植民地  …主権なし。施政権も原則なし。

                  台湾(日清戦争以後)

                併合   …国の一部となる。

                  韓国(日韓併合 (1910年) )

                委任統治 …委任当初は主権、施政権ともなし。

                      民族自決の原則。段階的に原住民へ譲渡することが目的となっている。
                      独立に向けて政治的社会的訓練を受ける期間。

                  北マリアナ諸島・パラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦(第1次大戦後に連合国としてドイツ領土だったこれらの地域を委任統治することとなった (南洋諸島) )

                被保護国 …部分的な主権保持。外交面の保護を受ける。施政権はある。

                  満州国(元首は清の最後の皇帝溥儀 (1932年建国) )

                占領地  …自国の領土が武力により、他国の支配下に置かれること。

                      まだ処遇が決まっていない状態。

                  タイを除く東南アジア各国(フィリピンは1944年にアメリカが再奪回する)

                  中国大陸の一部(例:北京占領 (1937年7月末に日本軍占領。その後、占領下のまま、王克敏、王揖唐等による中華民国臨時政府が誕生する) )

                  

                主権は、原則として強者が握る。戦争に勝てば勝者の意志に沿う。

                1945年8月、日本はいくつかの条件を呑んで連合国に降伏した。
                 

                参考blog:『世界飛び地領土研究会』委任統治と信託統治領


                国の成り立ち(1)〜ミクロネーションズ〜

                0

                   

                  国と一言で言いましても、なかなか説明は難しいです。

                  どうやって国は生まれ、存続するのでしょうか。

                   

                  「人が信念と共に歩んでいくように、国にも建国の理想というものがある。」

                  こういう言葉もあります。

                   

                  ここで、国が国と呼ばれるために必要な要素を整理してみます。

                  理想を実現するために成立すべきものは。

                   

                   

                  ◯主権

                   独自の軍(防衛)

                   外交権

                   通貨発行権

                  ◯施政権

                   行政、立法、司法の三権を行使する権限

                   

                  ここでいう主権とは、民と領土を統治する統治権、及び他国からの干渉に左右されずに独自の意思決定を行う国家主権のこと。

                   

                  ・・・




                   

                   

                  「シーランド君ですよ」

                   

                  来ました、シーランド君。

                  小さな小さな国(ミクロネーション)として数えられる国のひとつです。

                  どれくらい小さいかというと、大きな二本の柱に支えられた海上の要塞がすべての領土、国民は2006年の時点で計4名、王様と一名の兵士からなる君主制です。ふむふむ、独立までの経緯が知りたいですね。

                   

                  【The struggle for liberty】

                  場所はイギリスの東海岸から6海里離れた公海上。

                  第2次世界大戦中に、イギリス軍が本土上空防衛のため海上に建設したマンセル要塞のひとつが舞台となります。

                  これら要塞群は戦後は軍の管理を離れ、放置されていました。

                   

                  娯楽のひとつとして挙げられるラジオ。ヨーロッパでのラジオ放送は国営放送が独占していました。民営には放送免許が認可されなかったのです。これに反発した人々が北海上のあちこちで錨を下ろし、船舶から沿岸諸国に向けて放送を行うようになりました。1960年代に入ってから見られるようになったこの送信形式による放送は、海賊局、海賊放送と呼ばれています。

                   

                  元イギリス陸軍少佐のパディ・ロイ・ベーツもそのひとり。

                  漁師をしていましたが、要塞のひとつを不法占拠していた海賊放送のスタッフを追い出し、その後釜に座りました。最終的に移った要塞フォート・ラフス (Fort Roughs/U1) が建国の地となります。海洋放送法の施行でマンセル要塞からのラジオ放送が禁止されたのを機にラフス・タワーの独立を宣言したのです。

                  君主ベーツ大公が治めるシーランド公国が生まれた瞬間です。1967年9月2日のことでした。

                   

                  【経済や他国との交流など】

                  シーランド・ドルという独自通貨があります。米ドルと等価の固定相場制です。

                  主要産業は、切手やコインの発行と一番耳目を引くのは爵位の販売ですね。カジノを開こうとした時もあったみたいです。

                  海外との交通手段はモーターボートやヘリコプター。ヘリポートあり。

                  サッカーがさかんです。シーランド代表チームがなんとありまして、主に非承認国家が参加する国際団体NF-Boardに準会員として参加しています。

                   

                  【国の標語は「E mare libertas」 (海からの自由)】

                  現在はロイ・ベーツ公亡きあと、息子のマイケル皇太子が後を引き継いで2代目シーランド公に即位しています。

                  何か緩急ある時は?

                  ベーツ公の友人が駆け馳せます。過去にはクーデターも撃退。

                   

                   

                   

                  「えっへん、イギリスの野郎には負けないのですよ」

                   

                  そう、あなたは立派な国ですね。敵いません。

                   

                   

                  シーランド公国公式HP

                  http://www.sealandgov.org

                   

                   



                  JUGEMテーマ:ヘタリア自由研究


                   


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