ゆめもめぐみもきかまほし〜「天皇の料理番」のエピソードから〜

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     秋山徳蔵が妻俊子を亡くしたのは、大正天皇がお隠れになって間もない頃でありました。皇太后(貞明皇后)から悔やみのお言葉を頂いた徳蔵が大宮御所までその礼に参ると、皇太后は入江大夫を通じて1体の人形を賜ります。

     亡くしたのは妻であるのに。

     翌日、徳蔵は再び大宮御所へ赴き、入江大夫に人形を頂いた件で礼を述べます。

     それに大夫は歌で応えて。
     

    亡き妻の ゆめもめぐみも きかまほし 世々につたえよ これの人形(ひとがた)


     

    「きかまほし」… 聞きたい。聞いてみたい。

    【動詞】「聞く」の未然形の「きか」+【助動詞】「〜まほし」([願望]を表す)

     残された子供を大切にせよとの意味が込められた人形と、俊子の心情へ思いを馳せたこの和歌の書かれた色紙は、秋山家の家宝となりました。

     秋山徳蔵は「忘れ得ぬ2人の婦人」として、貞明皇后と妻俊子の名前を挙げていたといいます。


     

    .*+.*.。 「めぐみ」 ゚+..*+
     

    元々、「めぐみ」は「恵」とも「恩」とも書いた。

    恩は、許慎の「説文解字」によると、後漢時代の中国ではすでに「恵(めぐみ)」という意味であったし、日本でも「日本書紀」や「古語拾遺」などで、「めぐみ」「みうつくしみ」「みいつくしみ」という読み方が為されていた。

    言葉の語源にさかのぼれば、「芽ぐみ」となる。春に草木が芽ぐむことから。

    春の陽気に誘われて草木は目覚め、生命力がはぐくまれていくのと同じように、他者に命を与えたり、命の成長を助けるということ。
    「恵」と書けば人から人へ渡るものでもあるし、「恩」であれば師や親からだけでなく、友人同士で互いに睦み合う中で生まれるものでもある。
     


    住民避難計画の進捗状況

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      川内原発の再稼働にまつわるニュースや、原発事故を想定した対策についてまとめています。1号機の再稼働はこの夏が終わる前には叶いそうです。
      今回は、原子力災害時の被曝防止に向けて練られている対策の内、住民避難計画について焦点を当ててみます。

      防災は、不断の見直しです。整えられた事前準備の大切さ。

      遅れているとの指摘があった県内のバス事業者と県との協定も、5月の時点で概要ができました。

      乳幼児をはじめとする要援護者をいかに確実に避難させるか。ここがこの避難計画で一番肝心なところです。

      原発事故時において、半径30キロ圏内の住民一斉避難は想定していない。

      段階的に対応する。

      大体、3段階に分けられている。

      ※=避難手段がない者にはバス事業者による緊急輸送が取られる。

      一.警戒事態

      施設敷地緊急事態要援護者(災害時要援護者・安定ヨウ素剤の事前配布を受けていない者・安定ヨウ素剤の服用が不適切な者など)の輸送準備(安定ヨウ素剤:参照「甲状腺内部被曝予防策」

      二.施設敷地緊急事態 …放射線が敷地外へ出る恐れが出て来た事態

      5キロ圏内(PAZ)の住民の内、施設敷地緊急事態要援護者とその支援者を対象に避難させる()。

      三.全面緊急事態 …放射線が敷地外へ出る恐れが高まった事態

      PAZの一般住民を対象にした避難命令。この場合、避難手段は原則自家用車で30キロ圏外へ避難する()。

      5〜30キロ圏(UPZ)の住民は、屋内退避。

      UPZの住民は、屋内退避後にプラント状況や空間放射線量率等に応じて段階的に避難する。

      ※(事前準備)

      ・バスと運転手の確保

      ・事業者側の安全確保とバックアップ体制

      ・鹿児島県で事業者へ協力を要請するのは、概要では、積算被曝限度が一般公衆の年間限度の一ミリシーベルトを下回る場合となっている(自然放射線を除く)

       (課題)

      ・万一の補償や除染対応、通信手段、燃料の確保、渋滞対策など

       
       

      *PAZ(Precautionary Action Zone)=予防的防護措置を準備する地域

      予防的な防護措置とは、即時避難を実施する等、放射性物質の環境への放出前の段階からの防護措置のこと

      *UPZ(Urgent Protective Action Planning Zone)=緊急時防護措置を準備する地域

      緊急時には、事態の規模や時間的な推移に応じて、屋内退避のみならず避難等の防護措置も出来るよう準備を整える必要がある


       


      モウソウ竹と琉球口貿易(転載)

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        最終回

        『仙巌園(鹿児島市)』

         1914(大正3)年3月16日。ウィルソンは仙巌園の山手北側で、モウソウ竹(江南竹)の林を観察していた。竹林奥に立つ石碑「仙巌別館江南竹記」によると、1736(元文元)年、島津家21代当主吉貴が琉球国に中国江南地方原産のモウソウ竹を所望し、2株を取り寄せ移植したところ、領内のシラス台地に見事に根付いた。

         モウソウ竹の日本伝来については、道元や隠元といった高僧に由来する京都起源説や、近い所では蒲生の旧領主樺山家が伝えたという蒲生起源説など諸説存在する。が、18世紀後半に江戸で大流行した記録があることから、徳川家とパイプを太くしていた島津氏が将軍に献上し、やがて庶民に広まったという仙巌園発祥説は説得力がある。古来日本にあったマダケと比べ柔らかくおいしく、春いちばんに芽を吹くモウソウ竹の筍は初物好きの江戸っ子の心をつかんだ。

         季節柄、ウィルソンも新鮮な筍の味覚を楽しんだ可能性はある。日本に先立つ中国探検で目にしたモウソウ竹が、島津公爵の庭に繁茂している。その背景をも咀嚼しながら、カメラを向けた思いを想像してみる。

         1609(慶長14)年、財政危機にあった薩摩が琉球国に武力侵攻し、中国への進貢貿易の利権を握った。琉球口と呼ばれるこの間接貿易で得た利益と海外情報が、28代当主斉彬の集成館事業へと集約されていき、仙巌園の南に時代の先端をいく洋式工場が次々に建てられた。2株の竹が全国に拡大したように、薩摩から近代日本の礎となる技術が波及していったのである。

         翌日、ガラス乾板に写し取った60枚の写真を梱包し、ウィルソンは鹿児島を後にした。そして3年後に再び日本の地を踏んだ時、真っ先に沖縄に足を運んでいる。仙巌園の竹林が、南の島へと彼の興味を誘(いざな)ったのかもしれない。

         日本列島を北上してサハリン(樺太)まで樹を求め、花を探し、100年前の風景を採集して歩いたウィルソンの第一回日本横断旅行は年末まで続いた。

        =おわり=

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        古居 智子著

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        転載元:南日本新聞 5月23日掲載分



        悠久の時の中で、国と国との関係はめまぐるしく変わっていきます。

        人と人。モノとモノとの交流も。
        共に繁栄するには何ができるのかを想います。




         


        強くたくましく、朗らかであれ(いろはにほへと)

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          事を荒立てることを避けて、論陣を張ることもせず、最初からあきらめて。
          それでいて、たやすくへこたれて逃げる。
          そうじゃないでしょ、と言いたい。
          男子たるもの、顔を上げて。強く逞しく朗らかであれ。


          ここに記すは「日新公のいろは歌」。
          戦国時代に生きた武士が残した和歌集です。

          それぞれの和歌の下に現代語訳を置いています。

           


          いにしへの 道を聞きても 唱へても わが行ひにせずば かひなし


          楼の上も はにふの小屋も 住む人の 心にこそは たかきいやしき


          はかなくも 明日の命を たのむかな 今日も今日もと 学びをばせで

           


          昔からの立派な教えをいくら聞いても、またどれだけ口先で唱えても、自分で実行しなければ何の役にも立たない。


          二階造りの立派な家に住む人も、みすぼらしい小屋に住む人も、その住む所によって人の値打ちは定められるものではない。その人の心にこそ、尊い、いやしい、の区別があるのだ。


          世の中には、今日は用事がある、今日は気分が悪いなどと言って、大事な学問を勉強せず、あてもなく、明日の日を頼みにしている人がいる。





          似たるこそ 友としよけれ 交らば われにます人 おとなしき人


          ほとけ神 他にましまさず 人よりも 心に恥ぢよ 天地よく知る


          下手ぞとて 我とゆるすな 稽古だに つもらばちりの 山とことの葉


          科(とが)ありて 人を斬るとも 軽くすな いかす刀も ただ一つなり

           


          自分と同じくらいの似たものを、友だちとしやすいものであるが(それは必ずしも身のためにならないから)せっかく友として交わるなら、学問や腕前が自分よりすぐれ、しかもおとなしい人を選ぶがよい。

          ※「交らば」の読み=ましはらは(まじわらば)
          ※おとなしき人とは、「大人らしき人」となり、人格の練れた人のことを意味する。大人な人。


          仏や神は外におられるのではなく、各人の心の中におられるのだ(悪いことをしたら)世間の人々よりも、まず自分の心に恥ずかしく思うべきである。天地の神はどんなことでもよく知っているぞ。


          自分は下手だからといって、けいこ事一つであっても、気をゆるめ、なげだしてはならない。「ちりも積もれば山となる」という言葉もあるではないか。


          例えば死刑にするような重罪人の場合でも、決して軽々しいさばき(裁判)をしてはならない。人を殺す刀もまたいかす刀も、君主の心一つになるのだ。(念には念を入れ、誤りがないようにせよ)



           

          海洋国家の魂映すナギ(転載)

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            『仙巌園(鹿児島市)』

             1914(大正3)年3月16日月曜日。ウィルソンは仙巌園(磯島津邸)を訪れた。桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた見事な借景の庭園は、鹿児島の旅の締めくくりにふさわしい場所であった。

             仙巌園は1658(万治元)年、島津家19代当主光久が別邸として創建し、明治以降は本家の別邸となった。名前は中国の景勝地、龍虎(りゅうこ)山の仙岩にちなみ、中国古代の家屋を模した望獄楼など随所に中国の影響が見られる。園内には、国内外から移植された多様な樹木や花が配置され、温室も整備されていた。さながら、植物園のような趣向で、プラントハンターの目を楽しませてくれたに違いない。

             ウィルソンが足を止めたのは、御殿東奥の石垣の前に立つ一本の大木だった。

             「有名な島津のプリンスの庭で、初めてナギを見た」

             後に論文に書いているように、針葉樹でありながら広葉樹のような幅の広い葉を持つナギの木が新鮮に映ったようだ。

             この木は現在も変わらぬ佇まいで、清水の流れを見下ろす場所に立っている。そして、その足元で毎年春になると、やはり中国起源の「曲水の宴」と呼ばれる雅な歌会が開かれる。水流に運ばれる杯が詠み手の前を通り過ぎる間に短冊に和歌をしたためる伝統の行事である。21代当主吉貴(よしたか)が始めたとされるが、その後断絶。1959(昭和34)年に火山灰や土砂に埋もれていていた曲水の庭が発掘され、90年に宴が復活した。

             幕末、28代当主斉彬はこの庭の池で菜種油を搾る水車を回し、望獄楼に装着したスイッチを入れて地雷を爆発させ、配管を施した石灯籠に日本初のガス燈を点火させた。島津家代々の別邸は文化継承の地であると同時に、先駆的な実験の場でもあった。海を越えて外国と交流してきた土地ならではの進取の気風が、時代を超えて息づいていた。

             ナギは、凪に通じるところから、航海の平穏を祈る神木とされてきたという。この木の存在もまた、海洋国家薩摩のひとつの表象であったのかもしれない。

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            古居 智子 著

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            転載元:南日本新聞 5月9日掲載分

            磯庭園にあるナギという木の話です。

            ウィルソンが訪れた100年前に既に、高さ15メートル、周囲1.2メートルはあったそうです。

            雄姿を保ち続けているというナギの木を見に行く、また楽しみがひとつ増えました。

            ナギ(梛)

            マツ目マキ科ナギ属

            比較的温暖な場所に自生する。雌雄異株。

            熊野神社及び熊野三山系の神社では神木とされ、一般的には雄雌一対が参道に植えられている。また、その名が凪に通じるとして特に船乗りに信仰されて葉を災難よけにお守り袋や鏡の裏などに入れる俗習がある。
            神社の中には代用木としてモチノキが植えている場合もある。

            (以上 Wikipediaより)
             

             

            (クリックで拡大)
             

            ー梛の雄花ー み熊野ネット「梛(ナギ)|梛の木について」より転載

             

            実はイヌマキに似ています♪





             


            涙の乾く間もあらば(安倍総理の外交にふれて)

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              日曜の夕方は、くっくりさんの記事を読んでは泣き、夜九時からのドラマ「天皇の料理番」での「どやさ」のシーンを見ては笑い泣きして大変でした。

               

              真心。素敵ですね。

               

              ブログ「ぼやきくっくり」は、ネット巡りのきっかけを作ってくれたひとつです。E・S・モースの著作「日本その日その日」にはまっていたら、自然とお邪魔するようになって、それからです。

               

              硫黄島(いおうとう)のくだりもそうですが、中継で安倍総理の後ろの一段上の議長席の方がハンカチをしきりに取り出していて、あちらの方だから、鼻風邪かなと単純に思っていたら、そうじゃなかったというくだりでもう泣くしかないという感じでした。安倍総理の演説がアメリカの人のハートに確かに届いたと知ったら、こちらの心の琴線にも触れてしまいます。

               

              もうひとつ。

              アメリカ訪問の前に、インドネシアにおいてのアジア=アフリカ会議に出席された安倍総理。合間を縫って、終戦後に起こった蘭英混合軍からの独立戦争をインドネシア人と共に戦った、日本人たちの墓前に献花をなさったそうです。あえてこの戦いのために残った日本人は二千人にのぼると言われています。

               

               

               

              4月22日

              カリバタ英雄墓地

               

























              カリバタ英雄墓地で
              献花を行う安倍総理







               



               

              ジャカルタ−アジア・アフリカ首脳会議の開会式を終えると、日本の安倍晋三首相はその日、カリバタ英雄墓地を訪問した。

               

              「Okezone」の調べによれば、2015年4月22日水曜日午前10時頃、安倍首相はカリバタ英雄墓地に到着し、ジャカルタ管区司令部陸軍地方軍管区参謀長イブヌ准将に迎えられた。

               

              遺族および補佐官が同行した今回のカリバタ英雄墓地訪問で、安倍首相はインドネシア人と共に独立戦争を戦った日本人の墓前に献花を行なった。その日本人の名は衛藤七男という。

               

              カリバタ英雄墓地の管理者によれば、インドネシア独立戦争に参加した日本人28名が同墓地に埋葬されているという。

               

              カリバタ英雄墓地の参拝を終えると、安倍首相は再びアジア・アフリカ首脳会議の行事に出席するために帰路についた。

               

              Okezone, Rabu, 22 April 2015

              PM Jepang Ziarahi Makam Pahlawan Kalibata

               

               

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              ジャカルタ−ジャカルタ・コンベンション・センター(JCC)で開催されたアジア・アフリカ会議開会式への出席を終えると、日本の安倍晋三首相はカリバタ英雄墓地を訪れた。首相は国家英雄に認定された日本兵の墓に献花を行なった。

               

              2015年4月22日水曜日午前10時13分(インドネシア西部時間)カリバタ英雄墓地に到着した。この来訪は献花を予定する日本兵の親類に付き添われたものだった。

               

              安倍首相は献花を行う前に、追悼曲が流れる中、英雄たちの墓前で黙とうを捧げた。黙とうを終えると、黒いスーツに青いネクタイを締めた安倍首相は日本出身の兵士たちが眠る一角へと向かった。

               

              安倍首相は9つの墓に献花を行なった。献花を終えると、首相は厳重な警備の中、記帳場所へと向かった。10時40分、安倍首相はカリバタ英雄墓地を後にした。

               

              献花に付き添ったヘリアントは衛藤七男という名の日本兵の子息のひとりだ。彼は安倍首相による父親の墓の訪問は誇らしいことだと話す。

               

              「首相の訪問と献花は大変光栄なことです」とオレンジを基調としたバティックを着たヘリアントは語った。

               

              ヘリアントによれば、日本兵であった父親はインドネシア国軍に加入し、インドネシアの独立を目指して連合軍と戦ったという。この戦いによって、ヘリアントの父親は勲章を受け、英雄墓地に埋葬された。

               

              ヘリアントの他に、ヘンドリ・クロイワも安倍首相が日本兵の墓を訪問したことを嬉しく思うと話す。この出来事は、インドネシアの独立における日本兵の貢献の存在を証明したものだ。

               

              「過去(小学校)に植民地支配者の息子として何度もいじめられてきました。いじめは私たちの父親もインドネシア独立に貢献したのだと同級生たちが気が付くまで続きました。1963年になって、彼ら(現地学校の友人)も分かってくれました」とヘンドリは語った。
               

               

              Detik.com, Rabu, 22/04/2015 11:23 WIB

              Peringatan 60 Tahun KAA: Ditemani Anak Veteran Jepang, PM Shinzo Abe Tabur Bunga di TMP Kalibata

               

               

               

              その他の記事はこちらから。全て、インドネシアの報道機関によるものの翻訳となっています。

               

              インドネシア雑記帳

               http://indonesia-zakkicho.ldblog.jp/archives/28306428.html

               

               

              この記事関連のコメントを抜粋します。安倍総理の心中はいかに。

               

              岸信介(安倍総理の祖父)は昭和32年5月、東南アジア歴訪の旅に出た。

              大戦の結果独立を果たした国々で、たいへん歓迎された。

              「私は総理としてアメリカへ行くことを考えていた。それには東南アジアを先に回って、アメリカと交渉する場合に、孤立した日本ということではなしに、アジアを代表する日本にならなければいけない、という考えで行ったわけです。戦後は勿論誰も首相としてアジア諸国に行っていない。それらの国々の首脳と会って、アジアの将来を考え、アメリカとの関係を緊密にしなきゃならないと考えた。それでアメリカに行く前後に15ヶ国を二つに分けて回りました」

              安倍首相はお祖父さんをお手本にしているとみえる。

              そして硫黄島の栗林中将の孫にあたる新藤さんを連れてアメリカに行った。

                (新藤義孝さんは、前総務大臣・現衆議院議員)
               

               


               

              4月29日

              ワシントンD.C. アメリカ合衆国議会議事堂

               

              演説のタイトルは、「Toward an Alliance of  Hope」。

              訳すると「希望の同盟に向かって」。

               

              「世界がもっと住みやすい良い所になるために、私たち2国は手を結び合おう」と呼び掛けている。

              アメリカと日本が、「対等に」力を合わせれば、この世界はもっと良くなる、と提案している。
               

              Let the two of us, America and Japan, join our hands together and do our best to make the world a better, a much better, place to live.


               

              ここで、演説の背景を見てみます。

              中国は中華思想が続いている。その行いから目をそらすために、日本は今でも歴史を「修正」して「戦後秩序」を引っくり返そうとしているとの嘘の宣伝を展開することによって、「悪いのは日本であって中国ではない」との国際世論を作り上げるのを目的としている。 

              実際そうなのか?そうではない。

              日本は中韓に捏造された歴史は修正し、日本自らが隠した歴史は取り戻して、戦後レジーム(体制)から抜け出そうとしているのだ。

               

              私たちは歴史の流れに埋もれようとしているお互いの国のために戦った英雄達を忘れてはならない。今から世界の秩序を守るため、また、日本が目指して来たアジアの平和と繁栄が適うよう、共に手を結びませんか。でも今までとは違いますよ。あくまで対等に、ですよ。

              アメリカの立場を尊重し、熾烈な歴史を思い、和解を求め、その上での提案。そんな安倍総理の歴史に残るであろう演説でした。

              例えば、ローラバッカー共和党下院議員はこう評価したそうです。

              「レーガン元大統領のスピーチ・ライターだった経験から、Aプラスを与えられる。歴史問題を威厳ある形で語った。第二次大戦に関し、首相はもう卑屈な態度を取る必要はない」

               

               

              くっくりさんの演説に関する元の記事はこちらです。
               

              ぼやきくっくり

              http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1716.html


               


              新たな同盟とヘタリアにみる先の冷戦

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                29日にワシントンの米国両議会に招かれた安倍総理が行った演説は、歴史の転換点のひとつとなったと言ってはばからないでしょう。まだ余韻に浸っています。

                 

                東のはしの小さな島国と、西のはしの大きな国に、人は何かを求めて辿り着いた。

                人類の理想の、かたや古来からの道徳や武士道、かたや若々しい正義や希望。

                このふたつが広い海を越えて結び付けば何だってできる。

                今日は「歴史の試練」を乗り越えて、「対等に」付き合うことができるという記念の日。

                新たな同盟。希望の同盟。

                と、日頃、アルフレッド・アメリカがどうしようもなく好きな私としては、大風呂敷を広げたくなる演説でした。

                 

                小泉政権下の時、初めて、ああ、日本はアメリカに負けたんだと思ったことを思い出します。それは既に過去のことだと思っていたのに。

                この日の演説では、過去を乗り越えた、同盟の形が示されていました。「アメリカに期待されるのは、過去も今も未来も、希望を作り出すことである。この同盟をこう呼ぼう。希望の同盟と」。「アメリカ」の心をくすぐる最後の言葉。

                 

                夢みたいです、安倍政権。

                 

                 

                そしてこちらはそんなこんなでヘタリア熱が再燃して見つけた動画です。凄いです。

                主に米露の先の大戦から冷戦までを時間軸で追った、えと、MMDという技術が入った動画だそうです。ほんとに凄いです。

                 

                自由の国「アメリカ」と、酷寒の大地に広がる国「ロシア」。

                過酷な潮流を切り抜けて来たこの世界。「日本」はこれから、何ができるでしょうか。




                【第12回MMD杯本選遅刻組】 まだ見ぬ明日へ 【APヘタリアMMD-PV合作】

                 

                 

                他の「国」の補足を少し。

                眉毛が太くてしょうがないなという仕草を垣間見せるのが「イギリス」です。

                そして、気取ってる長髪のお兄さんが「フランス」です。

                彼ら連合軍に追いつめられた二人組は「ドイツ」と「プロイセン」。

                「プロイセン」は、「ドイツ」の兄貴で、少しずつ領土を減らしながらドイツに溶け込み、大戦中は、ナチ党政権下に置かれました。そして終戦後はその一部が東ドイツとなります。

                 

                 

                 

                 

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                男女平等、何を平等に分かち合う?

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                  回覧板で興味深い話が回ってきました。

                  ぴのこ:)女性のエンパワーメント

                  女性を勇気づけ、社会へ貢献し、充実した生活を送るために後押しすること

                  ぴのこ:)「男女共同参画社会」

                  男性と女性と、「責任」を等しく分かち合う社会

                  ぴのこ:)女性のエンパワーメントをもう少し詳しくぴのこ:)

                  ・自己決定しながら、生きていく力を身に付けること

                  ・自ら考え、選択する

                  ・女性が活躍するために必要なもの

                   「自分で考え、自分で物事を決める習慣」

                   「多角的な視点やリテラシーを身に付ける」

                   「他人とつながる力」

                  ぴのこ:)「男女共同参画社会」基本は今までとそう変わらない?ぴのこ:)

                  経済面から女性の活躍を期待する社会。社会からのアプローチとしては、仕事中心か、家庭中心か個々に選べる環境を作る。男女を問わず、勤務時間が超過しない手立てが必要。

                  ぴのこ:)編集者の後書きから

                  生活に密着するものは様々である。働くこと。地域との関わり。家族や友人との時間。プライベートな時間。

                  その中で、女性が自分らしい生き方ができるように。また、男性も生きやすい社会であるように。



                   

                  実際、自分も編集者と同じところで悩みながら日々を送っているので、思わず膝を打つような特集でした。

                  仕事が充実していても、誰も家に日中いなければ本末転倒に感じます。家を守るために仕事をしているのだから。主婦でも、わたしは主夫でもいいと思うのですけど、平日にも誰かいないと、近所にも申し訳ない。地域活動もままならない。

                  それよりは、ここに書かれているようにお互い協力して役割分担しながら、したいこと、やらなければいけないことをちゃんとこなしていく方が、充実したあるべき生き方だと思うのです。

                  「責任」を分け合うってすごくいい捉え方ですね。性に合っています。

                  という訳で、今は仕事のほうは一休みして家にいる日が多い中、これからの事を考える日々を送っています。「主婦」という言葉も改めて見ると素敵です。うん素敵。

                  「時間」(時間軸)を意識できるのは、人間だけだそうです。人生設計は大事。自分にできることがあるならやらなければ。

                   


                  見えてきた再稼働

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                    沖縄電力を除く大手電力9社の、今夏の電力供給と需要の見通しが発表されました。

                    震災から4年。

                    九州電力からは、国の電力需給検証小委員会の意見も受け、川内原発が再稼働した場合の試算が初めて発表されました。需要が高まる夏に間に合いそうなのは、厳しい審査をひとつひとつクリアしてきた成果です。

                    九電からの送電のうち、補強された電源を書き出してみます。

                    火力は、今だフル回転です。昨年3月のタービン落下から復旧する電源開発の松浦火力発電所2号機(長崎県、100万Kw(キロワット:時間当たり以下同))の存在が心強い。火力によって九電に卸される電力(受電)は、合計46万Kw増の234万Kwの見込みです。

                    太陽光の供給力は66万Kwと昨年から倍増しています。

                    それでも、もし原発が再稼働しないとなると猛暑だった場合の需要に対する供給力は、マイナス2.3%と少し足りない。突発的な停電を防ぐためには最低3%の予備率が要求されます。ここ数年続けられて来た中国電力や中部電力からの融通に頼るしかありません。

                    再稼働すれば、自力で電力確保できます。一基のみで、予備率は5.1%。二基とも間に合えば10.9%と上昇します。

                    ちなみに同じく原発の再稼働を想定して準備を進めている関西電力は、今年は間に合わず、単独での予備率は0.8%となっています。こうして見ると、他国のような大きな停電が震災後から今までないということは、そうはさせまいという隠された幾多の努力を思わせます。

                    [九州電力2015年夏]

                    2013年並みの猛暑下での電力需要予測 1643万Kw(時間当たり)

                    川内は、原子力規制庁による現地での使用前検査に入っています。早ければ7月上旬に1号機の再稼働である発電が始まり、8月中に国の最終試験を受けて本格的な営業運転に入る予定です。

                    審査申請から再稼働までのサイクルが長いので、記事を追っていくのもなかなか大変です。言葉が難しいので、この審査や検査はどこの段階か大まかでもいいのかもしれませんが、川内原発が先鞭をつけるなら、流れを整理するのも価値があるのかもしれません。ここで、まとめてみます。あくまで大まかなものです。ご容赦。

                    〜原子力発電の再稼働手続きの流れ(カッコ内は川内原発関連日付等)〜

                    「原子力規制委員会による審査」

                    ●審査申請書提出(2013年7月)

                    ●新規制基準に基づく審査

                      ↓適合・合格(2014年9月)

                    ●住民説明会:審査内容の報告(2014年10月〜)

                        

                    ●工事計画の補正書審査(設備や機器の詳細設計)

                    ●保安規定の補正書類審査(運転管理体制)

                      ↓記載内容への要求高く提出難航(2月時点で計6万ページ弱)

                    「原子力規制庁による使用前検査」

                    ●現地での使用前検査(2015年3月末〜)通常1〜2ヶ月

                      ↓

                    「再稼働」

                        

                    日本のエネルギー内での原子力の位置付けについて、私の一考察はこちらまで

                    毎日のようにのぞいてくださる方から力をもらい、ここでもう一度取り上げさせてください。

                    こんな細々ブログに来てくださる、ありがたいです。FUKUSHIMA50を訪問してくださる方も。感謝しています。

                    新規制基準やその審査結果についてはこちら。薩摩川内市での住民説明会で、要旨が述べられています。

                    原発については色々な考え方があると思います。訪れた方の考えが深まる一助になれば幸いです。


                    国見の歌

                    0


                      言の葉に意志を込めて発すれば、それは言霊となります。

                      思い浮かぶのは、舒明天皇の詠まれた国見の歌。のちに万葉集に撰ばれた御製歌です。


                       

                      天皇 香具山に上りて望国したまふ時の御製歌

                      大和には群山あれどとりよろふ

                      天の香具山登り立ち 国見をすれば

                      国原はけぶり(煙)立ち立つ

                      海原はかまめ(鴎)立ち立つ

                      美味し国そ 秋津島 大和の国は

                      先の天皇、推古天皇が崩御された時、国は全く疲弊していました。繰り返される長雨と旱魃。その遺言は「この頃五穀が実らず、百姓は大いに飢えている。私のために陵を建てて葬ってはならぬ。ただ竹田皇子の陵に葬ればよい」という民心に寄り添うものでした。

                      「日本書紀」から 

                      626年は1月に桃や李の花が咲いた。かと思えば一転して寒くなり、3月に霜が降り、6月に雪が降った。この極端な冷夏の上に、3月から7月まで長雨が降り、天下は大いに飢えた。627年には4月の10日と11日に続けて桃や李の実ほどもある雹が降った。そして春から夏まで旱魃が続いた。推古天皇が遺言を残し世を去ったのは翌年の4月のことだった。

                      参考Web:歴史を変える気候変動「535年の大噴火」

                      その推古天皇から皇位を継いだ時、舒明天皇の胸の内に期するものは何だったのでしょうか。

                      天皇は祭司でもあります。その天皇が詠む国見の歌。国見とは元々民間にあった、花見や山遊びなど年頭や春に秋の豊穣につながる呪的景物を見てその年の豊作を祝す習慣のことでした。いつしか天皇がこれを取り入れ、しかる場所で国を眺める儀式となります。即位の儀式の一環として、国の繁栄を予祝することもありました。そういう立場である天皇が言祝いだこの時の風景は、目の前に広がる平野のみならず日本の大地そのものへの祈りだったに違いありません。
                      大和の国よ、豊かであれと、香具山の上から辺り一帯を遠く眺めながら舒明天皇は祈りを込め詠い上げたのです。

                      《原文》

                      高市岡本宮御宇天皇代 [息長足日廣額天皇]

                      天皇登香具山望國之時御製歌

                      山常庭 村山有等  取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者
                      國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜A國曽 蜻嶋 八間跡能國者

                      (A) 外字:扁[忄(りっしんべん]+旁[
                       

                      原文に倣うと「あきつしま」は蜻蛉島と記するべきところ、秋津島とさせて頂きました。この歌を初めて目にした時のままで載せたかったゆえです。意味はどちらも大和の国を指します。蜻蛉島はトンボが飛び交う国のこと。トンボは五穀豊穣につながる穀霊の象徴でした。

                       



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