国の成り立ち(3)〜日本の主権回復〜

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    占領されれば主権は一旦喪失します。

    日本は終戦後、アメリカを主体とする連合軍に占領されました。

    以下,再び主権を取り戻すまでを辿ってみます。

    主権は施政権よりも先に喪失する

    内政より対外的な面の主導を取り戻しにくい。

    連合軍による直接統治は日本政府の反対により、なんとか断ることができた。

    但し、北緯30度以南の南西諸島及び小笠原諸島は、この時から米軍政下に置かれるようになる。

    本土は、施政つまり内政は、GHQ(極東軍総司令部)の指導の下でそのまま日本政府が行う形の間接占領統治方式で行われた。その一方、主権は殆ど失ったまま時は流れる。

    日本は自衛隊発足まで長らく軍を持たず、対外向けの外交は、GHQを通して行うこととなる。

    1951年9月8日  サンフランシスコ講和条約締結

         アメリカを始めとする連合国諸国と日本との間に結ばれた平和条約

         互いの全権大使が署名することで条約が結ばれたことになる

         この条約を批准した連合国は日本国の主権を承認した

         同日    日米安全保障条約締結

    1952年4月28日 サンフランシスコ講和条約発効・主権回復及び国交回復

              (「昭和27年条約第5号」として公布される)

         調印・批准を行った多くの連合国と日本との間の「戦争状態」は、

         この条約の発効をもって終結した

    沖縄や奄美、小笠原諸島は、条約発効時から正式にアメリカの管理下に置かれることになる。これら島々の施政権はそれまでと同様米国が握る。本土復帰までは、時を待たなければならない。その道は険しいながら、この時、ある布石が打たれていた。

    【補足:講和条約を結ばなかった国々との関係】

    ソ連と幾つかの東欧諸国、中国(中国共産党)と台湾(中華民国)の二国、及びビルマ、インドネシアなどの国々は調印せず、あるいは会議へ招聘されなかったり、批准しなかったりであった。後年、個別に結んだ条約や合意によって戦争状態は終結することとなる。インドは参加こそしなかったものの、条約発効後、自主的に戦争状態の終結を宣言している。

    台湾(中華民国)とは講和条約発効日に合わせて、日華平和条約を結ぶことができた。その後、日中国交回復(1972年)により、日本と台湾は国交断絶となる。


     

    【補足2:「日華平和条約」締結の意義】

    台北駐日経済文化代表処:台湾週報より(総統府 2009年4月28日)

    「馬英九総統が台北賓館で「日華平和条約」締結の意義を語る」


    リンクを貼っておきます。

    何だか感動してしまったので。

    民進党(民主進歩党)が躍進し、蔡英文氏が台湾総統となることが決まりました。これで馬英九率いる中国国民党が敗退した訳です。

    総統に就任した当時の馬英九氏は当初中国寄りではなく、日本寄りでもなく、自分の国を愛し、「日華平和条約」の果たした重要な役割を理解しています。また、そこから今に繋がる台日双方の交流の活発さを喜びとしています。

    しかし、惜しからんや。愛した国とは「台湾」ではなく、あくまで「中華民国」としての国でした。中華民国は、支那大陸統一という理想の下に建てられました。国民党が台湾に来たのは内戦の結果、おちのびてきたようなもの。中国共産党との内戦状態は李登輝総統が一方的に終結を宣言した1991年まで続きました(戒厳令体制解除)。それまでの共産党との長い戦いの歴史を見るに、台湾を守るという視点を欠いています。

    その為、年月が経てばたやすく経済面から中国大陸寄りの政策に傾き、国民の支持を失ったのでしょう。

    国も人も時の流れの一瞬のみに目を向けると、それ以上推し量ることができません。

    対照的に、民進党が掲げているのは「台湾の主権独立」です。

    台湾の統治は、日本政府から中国国民党(外省人主体)、そして戦前からの台湾人(内省人)の元へ還ったことになります。中国共産党の口をはさむ隙はなくなりました。日本が中国へ遠慮する理由も。今だ日本政府として公式に台湾を国家と認めていないのですから。

    今ならば、これを機会に台湾との国交回復が成るのではないかと期待しています。合わせて独立するために必要な、中国以外との経済的な交流や発展の手助けをすることが必要です。
    李登輝総裁はそれまでの建前であった、「中華民国は中国全土を代表する政府」から「現実外交」へシフトしたという側面もあります。
    日本を慕っていてくれることに感謝するだけでは駄目です。

    長くなりました。

    この日華平和条約にまつわる話の中で、降伏後に手放した領土を誰に譲渡するかを日本が言わなかった理由を問えば、当時の英国と米国の重要な理念と戦略によるものだったと述べています。複雑ゆえに、同意ある部分のみ講和会議では決めて、その他については、個々二国間条約で処理することとなったのです。

    次回は、その互いの思惑が交叉する国際社会に置かれた日本の選んだ道について述べていきます。


     


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