FUKUSHIMA50『The memory 1F lost all power supplies』5-17

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    全電源喪失の記憶(証言 福島第1原発)

    第5章 「命」

    〈17〉「俺は見ていただけ」 現場の”思い”後世に

    南日本新聞2014.8.20朝刊掲載

     福島第1原発事故で現場の指揮を執った吉田昌郎は食道がんを患い2011年12月、所長を退いた。退任後、東工大の同窓でかつて第1原発所長を務めた東京電力の先輩、二見常夫にメールを送った。

     「後世に伝えなければならないことがあるので、もう少し生きてみようと思います」

     吉田は何を伝えようとしたのかー。

     吉田は事故翌年の12年2月上旬、東京都新宿区の慶応大病院で手術を受けた。術後の抗がん剤治療が続く中、事故対応で感じたことを周囲に語ったことがある。

     「俺は見ていただけなんだよ。放射線量が高い地獄のような現場に何回も行ってくれた連中がいたんだ。彼らが一生懸命やってくれたんだよ。本当にありがたいと思っている。俺は何もしていない。何もね」

     真っ暗な中央制御室に残った運転員、車のバッテリーをかき集めて計器が読み取れるようにした復旧班員、消防車による原子炉への注水をするため何度も現場に向かった自衛消防隊員、電源復旧作業中に爆発に巻き込まれた電気設備担当ー。

     吉田の脳裏に、決死の思いで作業に当たった社員や協力企業の作業員の顔が浮かんでいた。だからこそ首相官邸や東電本店、マスコミ報道に腹が立った。

     「現場は知恵を出し合ってやっているのに、何かのスイッチを押せばできるんじゃないのかみたいな感覚でものを言う。現場は何をしているんだ、と。『ふざけるんじゃねぇよ、そんなことを言うやつはこっちに来い』と思ったね」

     免震重要棟で現場の作業を見守りながら吉田は「一人も死なせるわけにはいかない」と、現場の安全を優先した。

     「事故が起きたら最初に死ぬのは誰でもない発電所の人間なんだ。だけど死んでしまったら事故の収束ができない。現場の人間の命を守れないで、地元の人たちの命を守れるわけがないじゃないか」

     吉田は12年6月に慶応大病院を退院し、東京都内の自宅で療養することになった。

     7月26日、本店の原子力設備管理部長だった時の部下と2人で、散歩がてら昼食に出掛けた。

     「俺が退任してからも大変な思いをした連中がいる。そいつらを集めて飯でも食うか」

     「お酒は駄目ですよ」

     「いいんだ。連中が飲んでる姿を見ているだけで俺は楽しいんだから」

     たわいもない会話だった。

     「早く復帰しないとな」

     吉田はそう行って店のトイレに立った。だが戻らなかった。

     吉田はトイレ内で倒れているところを発見され、意識が混濁したまま病院に運ばれた。脳出血だった。3度にわたる頭部の手術の末、リバビリのため転院した病院でがんの再発が判明した。(敬称略。共同通信 高橋秀樹)







     


    コメント
    ブログ開設おめでとう!。開店祝いに来たよ〜〜〜っ。

    原発事故当時心に残ったエピソードは、危険な作業に赴く東電職員が大事な結婚指輪をいったん机の引き出しにしまったが、思い直して指に嵌めて出かけた…という記事でした。自分が死んだ時に身元がわかるようにと。

    原子炉建屋にヘリコプターで海水を撒いた自衛官たちは、若者は自分たちが行くと言い、ベテランは若者を死なせる訳にはいかないと譲らなかった。

    たくさんの人が命がけで日本を守ってくれたんですよね。今も福島で頑張って下さっている方々に心から感謝します。

    ブログ、緻密でちょっと驚きました。無理せずゆっくり頑張ってね。またお邪魔します。
    • うらら
    • 2014/10/14 1:44 AM
    うららさん、ようこそおいでくださいました(o^ ^o)
    早速のコメント、元気百倍です。添削の大変さにくらっとしてました。一息ついてぼちぼち更新していきたいと思います。

    MGRが無ければ、コメントすることも、自分のブログを公開することも思いもかけなかった訳で、こうしてうららさんに来て頂くと、縁の深さを感じます。
    まずはこの記事をそのまま残すこと。それがかなったので、草の根で思いの丈をぶつけていきます。
    宮城にお住まいでしたでしょうか。
    これからも情報交換できたら嬉しいです。

    それではまた。ここかMGRでお会いいたしたく思います(^ ^)ノ
    • 香月
    • 2014/10/14 9:24 AM
    はい。私も常々考えていたのですが、100年後の人が何かを調べる時にはまず当時の新聞を読みますよね?。でもその新聞が一定の思惑で書かれていたり、偏っていたり…は後世の人にはわからない。

    日本の場合、朝日・毎日・東京・中日・北海道…と呆れるほどへんてこですから、今を生きる大袈裟ですが歴史の一員である私たちが何が正しいかを残す必要があるのではないかト。

    大きな一歩を踏み出されたことを尊敬します。

    ではまたMGRでお会いしましょう。
    良い一日を(^o^)/
    • うらら
    • 2014/10/14 10:25 AM
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