国の成り立ち(3)補足ー馬英九総裁が「日華平和条約」締結の意義を語る

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    2016年1月の記事「国の成り立ち(3)〜日本の主権回復〜」内のリンク先が切れていましたので、残していた中から。

     

     

     

    馬英九総統が台北賓館で「日華平和条約」締結の意義を語る

    発信日時:2009/5/8

    台北駐日経済文化代表処 台湾週報より

     

     

     

     馬英九総統は4月28日、台北賓館で「100年の回顧―台北賓館物語」イベントの開幕式に出席し、「日華平和条約」(中日和約)が中華民国の歴史発展において重要な役割を果たしたことを振り返った。同式典において、「日華平和条約」に調印した際の中華民国側全権代表の葉公超氏、副代表の胡慶育氏、列席委員の汪孝熙氏および、日本側全権代表の河田烈氏、首席委員の木村四郎七氏の5名の銅像が公開され、当時の調印の様子が再現された。

     以下は、同式典において馬総統が語った内容の要旨である。

         ○       ○       ○

     57年前の今日、「日華平和条約」がここで調印された。この日は、「サンフランシスコ平和条約」の発効した日でもある。「サンフランシスコ平和条約」は、「日華平和条約」より7カ月早い1951年に調印され、「日華平和条約」は1952年4月28日に調印された。

     この美しい台北賓館の建物は、1899年に建築工事が始められ、1901年に落成し、1913年に全体の改修工事が完了した。ローマ風の柱と、ギリシャ風の壁、バロック式の華麗な風格がミックスされ、著名な建築家である松山森之助氏によって設計された当時から非常に著名な建築である。私は小学校のとき、よくこの建物の前を通ったが、大人になってから、日本が台湾を統治した50年間で、19名の総督のうち16名がここに住み、即位前の昭和天皇もここで歓待を受けたことを知った。

     いかなる古蹟も、ハード面での建築本体の美しさだけでなく、さらに重要であるのはソフト面の部分、すなわち歴史である。台北賓館は過去、日本の台湾総督官邸であり、光復(解放)後は、1961年に総統府の所属となり、外国からの来賓を招待する場所となった。また、最も重要なことは、57年前のこの瞬間、ここで「日華平和条約」が調印されたことである。

     「日華平和条約」は幾重もの意義があり、一つは「サンフランシスコ平和条約」の延長上にあることである。「サンフランシスコ平和条約」はきわめて特殊な状況に置かれていた。第二次世界大戦が終わって6年が経ち、まだ平和条約が締結されていない間に、中国の内戦(国共内戦)が発生し、中華民国は台湾に遷った。1950年に朝鮮戦争が勃発し、米国のトルーマン大統領は、第七艦隊に台湾の防衛を支援するよう要求した。中国の内戦および朝鮮戦争の2つの戦争が続いている間、講和会議を招集することはきわめて困難であった。「サンフランシスコ平和条約」調印後、46カ国が批准したが、台湾と中国大陸はいずれも同平和会議および締約に招かれず、ソ連は東欧各国を引き連れて退席抗議した。このような状況下で、締結対象は特殊なものとなり、日本と真に交戦した国家が、逆に締結国とはならなかった。このため、「サンフランシスコ平和条約」第26条に、日本は1942年1月1日の「連合国宣言」に署名し、日本と交戦したが「サンフランシスコ平和条約」の締結国とならなかった国と、別に二国間条約を結ぶことが言及され、7カ月後に台北賓館で日華平和条約が締結されたのだった。

     どうして日本は、韓国、台湾、澎湖、東三省(旧満州)、太平洋諸島など過去に占領した領土を放棄しただけで、誰に譲渡するか言わなかったのか、それは台湾の地位が確定していないことを意味するのではないか? と問う人がいるが、その主な要因は、「サンフランシスコ平和条約」第2条の規定がいずれも放棄した領土を誰に渡すか述べていないからであり、それは当時の英国と米国の重要な理念と戦略によるものだった。これらの件については複雑であるため、コンセンサスのある部分から先に決め、その他については二国間条約で処理することとしたのである。これは、わが国が日本と締結しただけでなく、1956年にソ連も日本と講和条約に類似したものを締結して領土問題に関する処理を行っている。日華平和条約の条文の行間からはっきり理解できるように、仮に日本が領土を中華民国に譲渡しないのであれば、双方は署名しなかっただろうし、国籍も含めて1945年10月25日の光復当時の状況に対する再確認だったのである。

     日本の最後の台湾総督である安藤利吉氏が陳儀・行政長官と1945年10月25日に台北公会堂で引き継ぎの儀式を行い、台湾住民は中華民国国籍を回復し、その後地方政府が設置され、選挙等を行ったことは、いずれも主権行為であるが、なぜ再度確認する必要があったのか? と問う人がいるが、国際法上は、両国の戦争状態が終結後に、講和条約を締結しなければならないからである。但し、第二次世界大戦の状況は特殊であり、中国と日本は1931年の九一八事変(満州事変)からすでに開戦し、1937年の盧溝橋事件後に全面開戦となったと理解する人もいるが、われわれは当時、日本には宣戦布告しておらず、真珠湾攻撃の二日目となる1941年12月9日になって、当時の国民政府の林森・主席が日本、ドイツ、イタリアに対して宣戦布告したのである。戦争が終わり、台湾は光復し、政府は主権をすでに7年間行使してから講和条約(日華平和条約)を締結した。情勢はきわめて複雑であったが、情勢がいかに複雑であろうと、講和条約を結んだ後、情勢は落ち着いたのである。

     「日華平和条約」の意義は、第一に中日間の戦争状態を法的に終結させることであった。実際に、日本にとって、法的な判決または当時の政府は、1945年8月15日の後、台湾人を日本人とはみなしておらず、われわれが国籍を回復したのは10月25日であったが、多くの日本の研究者はみな、天皇が投降を宣言した後、台湾人が日本人とみなされなくなったと認識している。日本が1946年に実施した選挙においても日本在住の台湾人および韓国人は排除されていた。「日華平和条約」の署名は一つの確認行為であり、戦争状態の終結を確認し、主権が中華民国に移転したことを確認するものであった。同時に、中華民国と日本の友好関係を開くものとなった。

     当時、中華民国は台湾に遷って2年あまりだったため、中央政府はきわめて苦しい状態だったが、「日華平和条約」締結後、外交の情勢は比較的安定した。さらに2年後、米国と中華民国は「中米(米華)相互防衛条約」を締結し、総体的に情勢はさらに安定した。このことから、「日華平和条約」は当時きわめて重要な役割を果たしており、われわれが台北賓館へ来たなら、この美しい建物を鑑賞するほかに、さらに重要なのは、この建物から過去に起こった歴史を見て、「日華平和条約」が果たした役割を理解することである。「日華平和条約」は、戦後の中日間の戦争状態を終結させ、台湾の主権が中華民国に移転したことを法的に確認し、日本との正常な関係を回復した。

     1972年に日本と中国共産党が外交関係を樹立する際、日本の大平正芳外相は「日華平和条約」が無効となったことを宣言したが、実際には、戦争を終結させる講和条約は二つに分類される。一つは処分性の条約(dispositive treaty)であり、言い換えれば、確定後に変化しないものであり、特に人民の国籍、財産等がこれにあたる。もう一つは執行性の条約(executive treaty)であり、例えば両国の往来関係に区切りをつけるものである。但し、これはいずれも1952年当時の「日華平和条約」が果たした役割に影響するものではない。

     今年は台日特別パートナー関係促進年であり、日本との相互ノービザ措置、自動車運転免許証相互承認に加え、6月1日から双方青少年の一年間のワーキングホリデー制度が始まる。今後、わが国政府は日本の北海道札幌に弁事処を開設し、東京に文化センターを設立することも計画している。このほか、台北松山空港と東京羽田空港は、来年の羽田空港新滑走路完成後、毎日双方4便ずつのチャーター便が開設される。今後、台日双方の交流はさらに緊密、活発となり、当初の「日華平和条約」の精神により合致することを期待している。

    【総統府 2009年4月28日】

    写真提供:総統府

     

     

     


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