はじめに

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    東日本大震災から3年半が過ぎました。

    原発事故からも同じだけの年月が流れました。大丈夫、乗り越えられる、と食い入るように福島第一原発が映る画面を見つめていたあの時に、その向こうでは一体何があったのか。

    「全電源喪失の記憶」は、共同通信が現場取材を重ねて当時の詳しい状況を記事にしたもので、福島民報や福島民友新聞を始めとする地方新聞に3月に掲載されてから最終章となる5章までまとめられていき、8月をもって終了された長期の連載記事です。時期を前後しながらおよそ30社が掲載していきました。

    この最終章を切り抜いてちょっとした本仕立てにしようと新聞紙をひっくり返してはノートに貼って行ったのですが、最初のいくつかの掲載分が抜けてしまいました。

    それならとネットで検索してみましたら、安全神話が崩れた、だから再稼働はなるものか、という極端な脱原発推進と一緒に取り上げるブログばかりが目につきます。
     

    神話は今は無いのなら、きっと当事者の方々は歩みを止めずに進んでほしいと願っているはずです。

    そんな視点で取り上げるブログが読みたくてこのブログを立ち上げました。

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    以下の記事や写真、資料を転載させて頂きました。
    深く感謝致します。

    全電源喪失の記憶《証言 福島第一原発》

    第5章 「命」

    〈全ての写真及び資料〉

    転載元:現在の安全と未来の環境を守るために(臼杵竹宵)

        大分合同新聞掲載分

    〈1〉〜〈4〉及び〈7〉

    転載元:大分合同新聞

    〈上記以外〉

    転載元:南日本新聞


    FUKUSHIMA50『The memory 1F lost all power supplies』5-1

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       電源喪失の記憶(証言 福島第1原発)

      第5章 「命」

      〈1〉首相「逃げ切れんぞ」  本店へと乗り込む

      大分合同新聞 2014.8.12夕刊掲載

       万策は尽きたー。3月15日、福島第一原発では2号機格納容器で圧力が上昇し、破損して大量の放射性物質が放出される恐れが高まっていた。なすすべのない東京電力に憤る首相。首都圏をも巻き込んだ東日本の広域が汚染される史上最悪の事態は避けられるのか。「退避せよ」。所長の命令が下る。事故発生から5日目。免震重要棟は運命の朝を迎えた。

      「日本国の滅亡だ」

       「撤退したら東電は100パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ!」。3月15日午前5時35分すぎ、東京・内幸町の東京電力本店の緊急時対策室に首相の菅直人(64)の怒号が響いていた。

       「プラントを放棄したらどういうことになるか知っているはずだ」。目の前に、こわばった表情の東電会長勝俣恒久(70)ら経営陣がいた。

       政府と東電が一体で事故収束に当たる統合対策本部を設置するー。首相官邸のエントランスで管は記者団にそう告げて東電本店へと乗り込んだ。民間企業の本社に首相が赴き、対策本部を立ち上げる。異例の対応だった。

       管を乗せた専用車はカメラのフラッシュの中を地下駐車場に入った。2階の対策室では経済産業相の海江田万里(62)らが既に待機していた。統合本部事務局長を命じられた首相補佐官の細野豪志(39)が「総理から一言あいさつを」と紹介し、管は話し始めた。

       その様子はテレビ会議システムで福島第1原発にも中継されていた。

       「このままでは日本国滅亡だ。撤退などあり得ない。命懸けでやれ」

       「60(歳)になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く。社長、会長も覚悟を決めてやれ!」

       社長の清水正孝(66)を午前4時すぎに官邸へ呼び、第1原発からの撤退はあり得ないと宣告した管だったが、拭い切れない東電への不信感がここで爆発した。勝俣や清水を指さし、時折両手を大きく広げ、部屋にいた約200人の社員に大声でまくし立てた。

       「撤退したら東電は100パーセントつぶれる」。管はもう一度言った。

       「大事なことは5、6人で決めるものだ。ふざけるんじゃない」と最後に言い放つと、打ち合わせの小部屋を用意するよう求めた。演説は10分以上に及んだ。

      テレビ会議の存在

       菅の激しい言葉に免震重要棟の社員たちも足を止め、テレビ会議の画面に見入っていた。

       管はこの時の言動を振り返り「怒鳴り散らしたなんて意識は全くない」と説明する。

       「本当に大変な状況だから、何としてもギリギリ頑張ってくれという思いを強い言葉で言ったかもしれないけど、彼らを怒るって感覚はないんだよ、俺には」

       一方、事故対応に当たった政治家の多くは、テレビ会議の存在をこの時初めて、知った。1号機の爆発をテレビのニュースで知らされるなど情報伝達の遅れにいら立っていた管には驚きだった。

       「本当にびっくりした。でかいスクリーンがあって、第1原発とつながっているじゃない。『なんだこれ』っていうか、これがあるのになんであんなに官邸に情報が伝わるのが遅いんだと…」

       政府と東電の意思疎通改善を目指した統合本部設置。だが危機を救うには遅すぎたと管は直後に思い知らされる。(敬称略。年齢、肩書は当時。共同通信 太田久史)
       =第5章(最終章)、18回続き=





        


      FUKUSHIMA50『The memory 1F lost all power supplies』5-2

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         全電源喪失の記憶(証言 福島第1原発)   

        第5章 「命」

        〈2〉「サプチャン圧力ゼロ」 所長、避難を即決

        大分合同新聞 2014.8.13夕刊掲載

        後ろから撃たれた

         「何言ってんだ、こいつ!」「なんだよこれ。ひでえな」。3月15日早朝、福島第1原発免震重要棟の緊急時対策本部にいた全員が、テレビ会議のモニター画面にくぎ付けになった。東京電力本店を訪れた首相の菅直人(64)が「逃げてみたって逃げ切れないぞ」と大声で怒鳴っていた。

         対策本部内の数百人が無言で画面を見つめていた。「こっちでは一生懸命頑張っているのに、後ろから機関銃で撃たれた気分でした」。第一復旧班長の稲垣武之(47)はそう振り返る。

         管が演説を終え本店の小会議室に移動した。小会議室にもテレビ会議のモニターが置かれ、第1原発と相互に連絡ができるようになった。

         「1F(第一原発)、聞こえますか?」

         本店からの呼び掛けに、所長の吉田昌郎(56)が手を挙げて応えた直後…。

         ズンッ!

         午前6時14分ごろ、免震棟に衝撃が伝わった。1、3号機の爆発時より小さな衝撃だったが、明らかに地震とは違う。

         1、2号機中央制御室から対策本部に連絡が入った。

         「2号機サプチャン圧力がゼロになりました」

         格納容器の一部で、原子炉建屋地下にある圧力抑制室(サプレッションチャンバー)の圧力が突然、なくなったという。

         全員が凍り付いた。圧力容器からの蒸気を冷やす圧力抑制室の気密性がなくなり、高濃度の放射性物質を含んだ蒸気が環境に大量放出される。もう第1原発構内どころか、周辺地域にすら安全な場所はなくなる。最も恐れていた事態だった。

         稲垣が吉田に進言した。

         「サプチャンに大穴が開いたと思います。とんでもない量の放射性物質がでてきますよ」

         「退避させるぞ」

         吉田は即決した。テレビ会議のマイクのスイッチを入れ、本店に退避を申し出た。必要のない大勢の社員たちをいつ退避させるか吉田はずっとタイミングを計ってきたのだ。今がその時だった。

        本店の反応に激怒

         ところが約220キロ離れた東京の本店の反応は鈍かった。制御室にある圧力計が故障したのではないか、と言う。吉田がキレた。

         「そんなこと言ったって、線量が上がってきて、こんな状態で全員いたらおかしいだろっ!」

         吉田はおもむろに白いヘルメットをかぶった。もう何が起きても不思議ではない、現場はそれほど危機的な状態なのだ、とアピールしていた。

         吉田は1〜6号機の三つの制御室にいた全運転員に、免震棟へ避難するよう命じた。

         吉田は2号機に異常があったと信じて疑わなかった。だが免震棟に伝わった衝撃音は、4号機原子炉建屋からのものだった。それが分かるのは午前7時前のことだった。(敬称略。年齢、肩書は当時。共同通信 高橋秀樹)










         

            


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          第5章 「命」



          〈3〉「低線量の場に退避」 風向き確認、2Fヘ

          大分合同新聞 2014.8.14夕刊掲載

          「正門先で待って」

           3月15日午前6時14分、福島第1原発の免震重要棟に衝撃が伝わり、2号機の圧力抑制室の圧力がゼロになったと連絡が入った。抑制室が破損して気密性がなくなり、大量の放射性物質が出てくるー。誰もが震撼した。

           所長の吉田昌郎(56)は対策本部中央の円卓を回り込むと、放射性管理を担う保安班員に風向きを確認した。敷地西側の正門前で線量を計測しているモニターカーからの情報では、風は北西から吹いていた。

           吉田は退避先の福島第2原発(南約12キロ)が安全か確認したかったのだ。自席に戻ると、総務班長を呼んでこう言った。

           「線量の低い場所を探して退避だ。なければ2F(第2原発)に向かえ。風向きは大丈夫だ」

           「とりあえず正門の先でどうですか」

           「それでいい」

           退避の手順が決まった。総務班長は副班長小薬敏子(55)に指示した。

           「バスを頼みます。みんなを乗せたら正門の先で待たせてください」

           小薬は大型免許を持つ男性社員6人を連れ、協力企業から借りたバス6台が止めてある免震棟近くの道路に向かった。午前6時27分、総務班長がテレビ会議で発言した。

           「皆さん、速やかに退避してください。最終目的地は2Fです。免震棟近くの路上にバスがあります。とにかく乗れるだけ乗ってください。まず正門の先で線量を測ります。とどまれなければ2Fに行きます」

           総務班長はこの後、第2原発に「そちらに行くことになります」と電話を入れた。

           屋外に出るには全面マスクが必要となる。保安班員が装着方法を説明し始めたが、既に対策本部の出口に向かって人の流れができていた。

          正当性の担保図る

           午前6時33分、吉田は免震棟に誰を残すのか人選するようテレビ会議で発言した。

           「必要な人間は班長が指名すること。あとは総務班の指示に従って退避するように」

           ところが午前6時42分に吉田が発した言葉は不可解なものだった。

           「構内の線量の低いエリアで退避。本部で異常がないことを確認できたら戻ってきてもらう」

           第2原発を退避先とすることは吉田と総務班長の間で前日夜に決まっていた、では吉田はなぜ「構内の」と言ったのか。この時の構内はどこも線量が高く、とてもとどまれる状況ではなかった。

           しかし約40分前、東京電力が第1原発から全面撤退すると考えた首相の菅直人(64)が本店で「逃げ切れないぞ」と激高していた。

           部下たちが「逃げた」と非難されないよう、吉田はとどまれないことを分かっていながら「構内」と指示し、第2原発に行く正当性を担保したのではないか。

           「吉田さんはそういう人です」。対策本部にいた多くの部下たちはそう口をそろえた。(敬称略。年齢、肩書は当時。共同通信 高橋秀樹)








           

              


          FUKUSHIMA50『The memory 1F lost all power supplies』5-4

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            第5章 「命」

            〈4〉「4号機から衝撃音」 対策本部と食い違い

            大分合同新聞 2014.8.19夕刊掲載

            「ドーン」背後から

             3月15日早朝、福島第1原発免震重要棟の緊急時対策本部では、衝撃音に続いて2号機圧力抑制室(サプレッションチャンバー)の圧力がゼロになったとの連絡を受け、圧力抑制室に穴が開いたと誰もが考えた。だが、衝撃音の正体が4号機原子炉建屋だと気づいていた者たちがいた。

             3、4号機中央制御室の当直長席に座っていた作業管理グループの富田敏之(54)もその1人だ。制御室では放射線量の上昇に伴い、13日夕方から数人1組の交代制で原子炉の監視に当たっていた。

             午前6時14分、「ドーン」という衝撃音とともに制御室が大きく揺れた。衝撃は当直長席の富田から見て左側の4号機の方から伝わってきた。富田は対策本部につながるホットライン(専用電話)を取った。

             「4号機で何かありました!」

             このとき、制御室には3人がいて、海側のサービス建屋に交代要員3人が到着したところだった。交代要員たちはサービス建屋に入った直後、背後から爆風を受けていた。

             だが対策本部の反応は予想外のものだった。

             「その爆発は2号機だ。サプチャンの圧力がゼロになったんだ」

             「いや、間違いなく4号機ですよ。揺れたのは4号機側だったんですから」

             富田は食い下がったが、対策本部は2号機だと言う。対策本部は衝撃音と計器の数値を根拠に「2号機」と判断、制御室は揺れと音の方向から「4号機」とみた。だどちらの部屋にも放射線防護の観点から窓がなく、何が起きているのか正確に把握できなかった。

             なぜ定期検査中だった4号機から衝撃音がするのかー。富谷には理由が分からなかった。

            「見捨てられない」

             実は4号機の爆発を目撃していた人物がいた。2号機の電源復旧のためケーブル敷設作業を続け、14日夜に免震棟から退避した日立GEニュークリア・エナジー福島第1原発所長の河合秀郎(56)ら4人だ。

             河合は日立プラントテクノロジーの冨岡郁三(51)らとともに、第1原発の西約2キロ、国道6号沿いにある別の協力企業の事務所にいた。「まだ何かできることがあるかもしれない」。そう思って待機していたのだ。

             「プラントメーカーとしての使命と、(第1原発所長の)吉田晶郎があれだけ一生懸命やっているのに見捨てるわけにはいかない。そんな思いでしたね」。河合はそう振り返る。

             窓の近くにいた河合は、突然、第1原発の方向から響いた爆発音に驚いた。河合は前日の14日午前、2号機建屋での作業中に、隣の3号機建屋の爆発に遭遇していた。

             まただ…。

             4号機建屋がある辺りから高々と煙が上がっていた。(敬称略。年齢、肩書は当時。共同通信 高橋秀樹)








             

                 


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               全電源喪失の記憶(証言 福島第1原発)  

              第5章 「命」

              〈5〉「今は死ねない」 退避で復旧班員葛藤

              南日本新聞 2014.7.29朝刊掲載

               3月15日午前6時半ごろ、福島第1原発免震重要棟2階の緊急時対策本部では退避に向けた人選が始まっていた。中央の円卓近くでは、第1復旧班長稲垣武之(47)と第2復旧班長曳田史朗(56)を中心に復旧班員の輪ができていた。

               誰が残り、誰が退避するのか、明確な基準はなかったが、若手社員は退避させると2人とも決めていた。

               床で仮眠していた復旧班計測制御担当の横山英治(37)は後輩に起こされた。

               「横山さん、2F(第2原発)に退避ですよ」

               「は?」

               横山は状況がのみ込めなかった。朝方まで中央制御室で計器の復旧作業に当たっていて、ようやく仮眠が取れたのだ。周囲を見渡すと同僚たちが既に荷物をまとめていた。どうやら仮眠している間に状況が悪化したらしい、と横山は思った。

               横山は後輩2人を連れて免震棟を出ると、駐車場に止めてあった自家用車に乗り込んだ。

               もうここには戻りたくないー。

               バックミラーに映る免震棟を見ながら横山は思った。

               稲垣と曳田の周りでは何人かが「残ります」と手を挙げていた。

               「自分は出してほしいんですが」

               班員の1人が退避させてくれ、と申し出た。

               「駄目だ」

               曳田は即座に断った。
               「正直だな、と思いました。彼にも家族はいる。気持ちは痛いほど分かってはいたんですよ。だけど彼は現場に精通していたんでね。気の毒だとは思いましたけど」

               曳田は班員に言った。

               「こういう状況をつくってしまったのは俺たちだ。後始末はしなきゃならない。そうだろう?」

               復旧班で電気設備を担当する磯貝拓(51)は迷っていた。

               電源復旧に向けて進めていたケーブル敷設作業は1、3号機で続いた爆発で頓挫し、現場に出ていた班員たちはすっかり戦意を喪失していた。

               電気設備担当としてやるべきことはやりきった、と磯貝は思った。

               「最後に子どもの顔が浮かんだんです。子どものためにも今は死ねないな、と思いました。正直、後ろめたさはありましたが…」

               磯貝は退避すると決め、稲垣に申し出た。稲垣は引き留めなかった。

               対策本部を出る磯貝が最後に見たのは所長の吉田昌郎(56)だった。吉田は約15年前、磯貝が第1原発保修課に所属していた時の上司だ。

               吉田さんは第1原発の最期をみとろうとしているー。

               一言、声を掛けようか。だが声を掛けたらきっと、もうここを出ることができなくなる。

               退避用バスに乗り込むと、磯貝はもう二度と見ることがない免震棟の光景を目に焼き付けようとしていた。

               (敬称略。年齢、肩書は当時。共同通信 国分伸矢)








               

                 


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                第5章 「命」

                〈6〉「俺は、残る」 当直長、とどまる覚悟

                南日本新聞 2014.7.30朝刊掲載

                 3月15日早朝、福島第1原発免震重要棟2階の会議室には各号機の運転員たちがいた。建屋の爆発や放射線量の上昇のため、中央制御室での原子炉監視は13日夕から主任以上の運転員による交代制となり、次の交代にむけて待機していたのだ。

                 1、2号機中央制御室で対応に当たってきた作業管理グループの大野光幸(51)は、当直長の伊沢郁夫(52)に話し掛けた。

                 「伊沢さん、事故の後、奥さんと話をしたんですか」

                 「いや」

                 「話さなきゃ駄目ですよ。番号、教えてください」

                 大野は伊沢から電話番号を聞き出すと、構内用PHSから東京電力本店を経由する方法で伊沢の妻に電話をかけた。ほかの方法では外部に連絡を取ることができなかった。

                 「つながりましたよ」

                 大野はPHSを伊沢に手渡した。

                 「うん、元気だ…。うん…。うん…」会話はほんのわずかな時間だったが、伊沢は涙声になっていた。

                 免震棟からの退避が始まり、大野も出ることになった。廊下に出ると伊沢が立っていた。

                 その顔を見た瞬間、大野は伊沢が残るつもりなのだと確信した。目が、伊沢の覚悟を物語っていた。残ることが何を意味するのかも分かっている目だった。

                 大野は伊沢の手を握って言った。

                 「伊沢さん、必ず戻ってくっから。必ず、また、くっからね」

                 「分かった」。伊沢はそう一言、答えた。

                 3、4号機の補機操作員林崎悟(24)は緊急時対策本部で総務班長による退避手順を聞いた後、免震棟1階に向かった。

                 林崎は退避する社員でごった返す1階の出入り口付近で、誘導に当たる伊沢の姿を見つけた。伊沢は事故の約1年前まで3、4号機の当直長として林崎と同じ班にいた。

                 「装備を整えた人から退避してください」

                 退避する社員たちのほとんどは白い防護服姿だったが、大声で誘導している伊沢は東電の青い作業服を着ていた。

                 「伊沢さんは出ないんですか」

                 林崎がそう尋ねると、伊沢は険しい表情で答えた。

                 「俺は、残る。君は出なさい」

                 もう会えないー。林崎はそう思ったが、伊沢の顔を見ると「一緒に行きましょう」とは言い出せなかった。

                 「絶対、外で会いましょうね」

                 「分かった」

                 「約束ですよ」

                 念を押したが、伊沢の言葉はなかった。

                 免震棟を出ると、ぽつりぽつりと雨が降っていた。雨は大気中にあった放射性物質を含んで高線量となっていた。

                 (敬称略。年齢、肩書は当時。共同通信 国分伸矢)








                 

                    


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                  第5章 「命」

                  〈7〉刻まれた残留者の名  まるで墓標のように

                  大分合同新聞 2014.8.22夕刊掲載

                   3月15日午前6時半ごろ、東京電力福島第1原発の免震重要棟では社員たちの退避が続いていた。2階の対策本部にいた医療班加藤由美子(37)の視線の先には、中央の円卓の傍らに立って、残る人員の名前をホワイトボードに書き込んでいる第2復旧班長曳田史朗(56)の姿があった。

                  忘れられない顔

                   曳田さんも残るつもりなんだー。

                   「自分たちがこの免震棟から退避させられるということは、残る人たちが死ぬということを意味していると思いました」

                   加藤は、原発の技術的な知識を教えてくれた曳田を恩師として慕っていた。もう会えない。そう思った加藤は対策本部を出ようとする人波をかき分けて曳田に近づき、そっと肩をたたいた。

                   「頑張ってください」

                   せめて一言、そう伝えたかったのだ。曳田は黙ってうなずいた。伸びたひげがこの5日間の苦闘を物語っていた。

                   ここで泣いてはいけない、と加藤は思った。ここで泣くことは、残る者たちに失礼だ、と。加藤はその時の曳田の顔を忘れることができない。

                   「悲壮な感じでした。どこかで覚悟を決めたような、いろんなものが入り交じったような表情でした」

                   対策本部にはもう数えるくらいしか人が残っていなかった。それまでの騒がしさがうそのような静けさだった。ホワイトボードには復旧や発電、保安など各班で残った社員たちの名前が書き込まれていった。

                   それはまるで墓標のようだった。

                  最後まで毅然と

                   2号機で炉心溶融(メルトダウン)が起きているのは疑いようがなかった。敷地内の放射線量が上昇している理由はそれ以外に考えられない。だが海水注入の態勢を維持する以外、もうできることは何もない。

                   所長の吉田昌郎(56)が曳田に歩み寄った。吉田にとって曳田は最も信頼する部下であり、友人だった。盟友2人が円卓の脇で向き合った。

                   「おい曳田。所員はみんな、おまえの背中を見てっかんな」

                   押し殺した声で吉田が言った。

                   「何言ってんの、吉やん」

                   真意を測りかねて、曳田は吉田の顔を見た。

                   何があっても、うろたえるなー。目がそう言っていた。俺たちがうろたえたら若い連中が動揺する。だから最後の瞬間まで毅然と対応しろ、と。

                   一方、免震棟1階に降りた加藤は、出入り口付近で全面マスクを奪い合う社員たちを見た。もともと全員に行き渡るほどの数はない。

                   加藤は不織布マスクを着けて免震棟を出ると、同僚の自家用車に乗った。動きだした車の後部座席で、徐々に小さくなっていく免震棟から目を離すまいとしていた。

                   あの中にはまだ人がいる。吉田さんも曳田さんも…。そう思うと涙が止まらなかった。(敬称略。年齢、肩書は当時。共同通信 国分伸矢)








                   


                   

                     


                  FUKUSHIMA50『The memory 1F lost all power supplies』5-8

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                     全電源喪失の記憶(証言 福島第1原発) 

                    第5章 「命」


                     

                    〈8〉「何だ、それは!」 壁崩れた4号機建屋

                    南日本新聞 2014.8.2朝刊掲載

                     3月15日午前6時21分、福島第1原発1〜6原発の三つの中央制御室に、免震重要棟への避難指示が出た。2号機圧力抑制室に穴が開き、大量の放射性物質が放出される事態を想定した指示だった。

                     3、4号機制御室の当直長席にいた作業管理グループの富田敏之(54)は「ついに最悪の事態になった」と感じていた。富田は衝撃音のした方向から、異常があったのは2号機ではなく4号機だと考えていた。

                     富田ら制御室の3人は、交代要員として到着していた3人とサービス建屋で合流し、免震棟に向かうことにした。

                     交代要員が乗ってきた業務車に6人が乗り込んだ。富田がハンドルを握った。

                     4号機南側を回り込み原子炉建屋に近づくと、路上に無数の大きなコンクリート片が転がり、道をふさいでいた。

                     「乗り越えてやろうとアクセルを踏んだんですけど、車はがれきに乗り上げて動かなくなってしまいました。仕方なく走って免震棟に向かったんです」

                     車を降りて4号機を見上げると、建屋の上部が吹っ飛び、壁がぐずぐずに崩れていた。

                     やはりあの衝撃音は4号機だった…。

                     富田たちは2、3号機西側の坂を上り、いったん敷地西側の「ふれあい交差点」と呼ばれる交差点に出た。ここから東に約400メートル行けば、免震棟に着く。

                     その時、正門の方向に何台もの車が向かっているのが見えた。どの車にも目いっぱい人が乗っている。

                     いったい何があったというのかー。

                     富田たちは、免震棟から多くの社員が退避し始めているのをまだ知らなかった。

                     午前6時55分、富田が免震棟2階に到着すると、対策本部は既に驚くほど人が減っていてがらんとしていた。

                     「4号機のリアクター(原子炉建屋)がひどい状態ですよ」

                     「何だ、それは!」

                     真っ先に反応したのは所長の吉田昌郎(56)だった。

                     12日の1号機建屋の爆発と、14日の3号機の爆発は、原子炉内の燃料が溶けた際に出た水素が原因とみられていた。だが定期検査中だった4号機の原子炉には燃料が入っていない。

                     状況的には4号機建屋が爆発したと考えるのが自然だが、なぜそんなことが起きるのか、誰にも分からなかった。

                     ただこれで午前6時14分ごろの衝撃音は4号機からだった可能性が濃厚となった。

                     逆に、2号機圧力抑制室に穴が開いていないのならば、まだ原子炉の監視は続けられる。制御室に滞在する時間を極力短くすれば、被ばくも抑えられるはずだ。

                     吉田が命じた。

                     「当直員は中操(中央制御室)に向かえ」(敬称略。年齢、肩書は当時。共同通信 国分伸矢)
                     







                     

                      


                    FUKUSHIMA50『The memory 1F lost all power supplies』5-9

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                       全電源喪失の記憶(証言 福島第1原発)   

                      第5章 「命」

                      〈9〉「線量、どう?」「高いです」 待機は不可能と判断

                      南日本新聞 2014.8.5朝刊掲載

                       3月15日早朝、福島第1原発には小雨が降っていた。男性サイズの黄色いかっぱを羽織った総務班副班長の小薬敏子(55)は医療班長の福澤淳(43)とともに免震重要棟前の駐車場で、退避する社員たちを約150メートル離れた路上に止まっているバスに誘導していた。

                       小薬が協力企業から借りたバスは6台だが、5台が満員になった後、バスに向かう社員はいなくなった。免震棟から出た社員の多くは自家用車に数人ずつ乗り込んで出発したのだ。

                       余ったバス1台と、東京電力所有の別の中型バス1台は、免震棟の前に置いていくことになった。

                       午前6時59分、総務班長が緊急時対策本部で所長の吉田昌郎(56)に歩み寄って言った。

                       「駐車場にバスを2台、残してあります」

                       総務班長は2台分の鍵を手渡した。

                       「あぁ、分かった」

                       吉田は、硬い表情で受けとった。2台のバスは最後の脱出手段になるはずだった。

                       免震棟前で小薬の自家用車に総務班長と福澤が乗った。バスは既に出発していたが、小薬は運転手たちに正門の先で待つよう指示してあった。

                       5台のバスは正門ゲートをくぐった先のカーブで待っていた。うち1台に復旧班の電気設備担当磯貝拓(51)が乗っていた。バスはもう5分以上、止まったままだった。

                       「何の説明もなくて、いったいこんなところで何を待っているのか、と思いました」

                       その時、車内にいた放射線管理担当の保安班員がバスを降りていった。後方の小薬の車から降りてきた総務班長が、この保安班員に尋ねた。

                       「線量どう?」

                       「高いです」

                       もう第1原発敷地内で放射線量の低い場所などなかった。正門付近では午前7時2分に毎時882マイクロシーベルトを計測していた。車内には全面マスクを着けていない社員もいる。この場にとどまるのは無理だった。

                      「2F(第2原発)に向かいましょう」

                       総務班長は小薬とバスの運転手に指示した。小薬と運転手たちは総務班長が免震棟で退避の手順を説明した時には既にバスの準備に向かっていて、最終的な退避先がどこか知らなかったのだ。

                       バスの周囲には何台かの自家用車も待機していた。退避には100台近い自家用車が使われたが、多くはとどまれないと判断して第2原発に向かったようだった。

                       総務班長は第2原発に向かう旨を吉田に伝えようとしたが、携帯電話がつながらな

                      い。

                       「小薬さん、携帯貸してもらえますか」

                       だが小薬の携帯電話も通じない。連絡が取れないまま小薬の車は5台のバスとともに出発した。

                       第2原発体育館に無事到着したと第1原発に連絡すると、吉田は「おぉ、そうか」と、安堵した声で答えた。

                       (敬称略。年齢、肩書は当時。共同通信 高橋秀樹)







                       

                          



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