御陵の森のヤマザクラ(転載)

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    『新田神社(薩摩川内市)』
     

     1914(大正3)年2月14日午後。川内川に架かる開戸橋を渡ると、前方に亀の形をした森が現れた。標高70メートルの神亀(しんき)山である。西に頭を突き出した亀の左側面から甲羅の上まで、322段の石段が続く。

     霧島からこの地に来た瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、千台(うてな・高殿)を築いたのが、川内の地名の謂われとされる。尊の陵(可愛(えの)山陵)の祭祀をつかさどった新田神社の創建は、はるか神代(かみよ)までさかのぼる。もとの社殿が焼失した後に、島津義弘公により陵のある神亀山頂に現社殿が造られた。

     中腹まで石段を上りつめた時のことだった。スギ、マツ、クスの大樹が立ち並ぶトンネルの先に旧社殿跡の平地が開け、白く煙る花がすみが目に飛び込んできた。春の陽光を受けて咲き誇るヤマザクラであった。ウィルソンは道の中ほどに三脚を立てると。前後2枚の連続写真を撮った。

     600種を超えるサクラの学名は複数の表記が存在するものがあり、分類も諸説に分かれるが、米国農務省見解のヤマザクラの正名にはウィルソンの名前がついている。つまり、命名者はウィルソンとされ、最初にその栄誉に浴したのが新田神社の木ということになる。残念ながら、昭和30年代にこの平地を横切るかたちで車道が整備され、ヤマザクラの木立は失われた。華やかな色に染まるソメイヨシノの横で、老木の株から育った若木が1本、楚々とした風情を見せている。

     江戸生まれの園芸品種ソメイヨシノは、接ぎ木で簡単に増やせ成長も早いことから、戦後になって爆発的な勢いで全国に広がった。しかし古来、和歌や俳句で詠われた日本のサクラといえばヤマザクラであった。穀物の神が宿るともいわれ、稲作との関係も深い。赤っぽい若葉とともに春を告げる淡紅色の花弁は、薩摩の田園風景によく似合う。

     余談だが、ウィルソンは1916年発表の論文「日本のサクラ」で、ソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの交雑種であるという自説を提唱。日本人の手でその仮説の正しさが実証されたのは、47年後のことだった。

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    古居 智子 著

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    転載元:南日本新聞 4月11日掲載分


    海洋国家の魂映すナギ(転載)

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      『仙巌園(鹿児島市)』

       1914(大正3)年3月16日月曜日。ウィルソンは仙巌園(磯島津邸)を訪れた。桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた見事な借景の庭園は、鹿児島の旅の締めくくりにふさわしい場所であった。

       仙巌園は1658(万治元)年、島津家19代当主光久が別邸として創建し、明治以降は本家の別邸となった。名前は中国の景勝地、龍虎(りゅうこ)山の仙岩にちなみ、中国古代の家屋を模した望獄楼など随所に中国の影響が見られる。園内には、国内外から移植された多様な樹木や花が配置され、温室も整備されていた。さながら、植物園のような趣向で、プラントハンターの目を楽しませてくれたに違いない。

       ウィルソンが足を止めたのは、御殿東奥の石垣の前に立つ一本の大木だった。

       「有名な島津のプリンスの庭で、初めてナギを見た」

       後に論文に書いているように、針葉樹でありながら広葉樹のような幅の広い葉を持つナギの木が新鮮に映ったようだ。

       この木は現在も変わらぬ佇まいで、清水の流れを見下ろす場所に立っている。そして、その足元で毎年春になると、やはり中国起源の「曲水の宴」と呼ばれる雅な歌会が開かれる。水流に運ばれる杯が詠み手の前を通り過ぎる間に短冊に和歌をしたためる伝統の行事である。21代当主吉貴(よしたか)が始めたとされるが、その後断絶。1959(昭和34)年に火山灰や土砂に埋もれていていた曲水の庭が発掘され、90年に宴が復活した。

       幕末、28代当主斉彬はこの庭の池で菜種油を搾る水車を回し、望獄楼に装着したスイッチを入れて地雷を爆発させ、配管を施した石灯籠に日本初のガス燈を点火させた。島津家代々の別邸は文化継承の地であると同時に、先駆的な実験の場でもあった。海を越えて外国と交流してきた土地ならではの進取の気風が、時代を超えて息づいていた。

       ナギは、凪に通じるところから、航海の平穏を祈る神木とされてきたという。この木の存在もまた、海洋国家薩摩のひとつの表象であったのかもしれない。

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      古居 智子 著

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      転載元:南日本新聞 5月9日掲載分

      磯庭園にあるナギという木の話です。

      ウィルソンが訪れた100年前に既に、高さ15メートル、周囲1.2メートルはあったそうです。

      雄姿を保ち続けているというナギの木を見に行く、また楽しみがひとつ増えました。

      ナギ(梛)

      マツ目マキ科ナギ属

      比較的温暖な場所に自生する。雌雄異株。

      熊野神社及び熊野三山系の神社では神木とされ、一般的には雄雌一対が参道に植えられている。また、その名が凪に通じるとして特に船乗りに信仰されて葉を災難よけにお守り袋や鏡の裏などに入れる俗習がある。
      神社の中には代用木としてモチノキが植えている場合もある。

      (以上 Wikipediaより)
       

       

      (クリックで拡大)
       

      ー梛の雄花ー み熊野ネット「梛(ナギ)|梛の木について」より転載

       

      実はイヌマキに似ています♪





       


      モウソウ竹と琉球口貿易(転載)

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        最終回

        『仙巌園(鹿児島市)』

         1914(大正3)年3月16日。ウィルソンは仙巌園の山手北側で、モウソウ竹(江南竹)の林を観察していた。竹林奥に立つ石碑「仙巌別館江南竹記」によると、1736(元文元)年、島津家21代当主吉貴が琉球国に中国江南地方原産のモウソウ竹を所望し、2株を取り寄せ移植したところ、領内のシラス台地に見事に根付いた。

         モウソウ竹の日本伝来については、道元や隠元といった高僧に由来する京都起源説や、近い所では蒲生の旧領主樺山家が伝えたという蒲生起源説など諸説存在する。が、18世紀後半に江戸で大流行した記録があることから、徳川家とパイプを太くしていた島津氏が将軍に献上し、やがて庶民に広まったという仙巌園発祥説は説得力がある。古来日本にあったマダケと比べ柔らかくおいしく、春いちばんに芽を吹くモウソウ竹の筍は初物好きの江戸っ子の心をつかんだ。

         季節柄、ウィルソンも新鮮な筍の味覚を楽しんだ可能性はある。日本に先立つ中国探検で目にしたモウソウ竹が、島津公爵の庭に繁茂している。その背景をも咀嚼しながら、カメラを向けた思いを想像してみる。

         1609(慶長14)年、財政危機にあった薩摩が琉球国に武力侵攻し、中国への進貢貿易の利権を握った。琉球口と呼ばれるこの間接貿易で得た利益と海外情報が、28代当主斉彬の集成館事業へと集約されていき、仙巌園の南に時代の先端をいく洋式工場が次々に建てられた。2株の竹が全国に拡大したように、薩摩から近代日本の礎となる技術が波及していったのである。

         翌日、ガラス乾板に写し取った60枚の写真を梱包し、ウィルソンは鹿児島を後にした。そして3年後に再び日本の地を踏んだ時、真っ先に沖縄に足を運んでいる。仙巌園の竹林が、南の島へと彼の興味を誘(いざな)ったのかもしれない。

         日本列島を北上してサハリン(樺太)まで樹を求め、花を探し、100年前の風景を採集して歩いたウィルソンの第一回日本横断旅行は年末まで続いた。

        =おわり=

        ______________________________________

        古居 智子著

        ______________________________________

        転載元:南日本新聞 5月23日掲載分



        悠久の時の中で、国と国との関係はめまぐるしく変わっていきます。

        人と人。モノとモノとの交流も。
        共に繁栄するには何ができるのかを想います。




         


        写真展「百年の記憶 ウィルソンの見たかごしまの自然」告知

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          地元の話題をひとつ。

          以前ご紹介した、英国学者アーネスト・ヘンリー・ウィルソンの写真展の案内です。

          古居智子さんが南日本新聞に連載されていたエッセイにまつわる写真や、大正噴火後の桜島の様子も見られるそうです。植物学者の彼が風景写真を残すのは珍しいとのことでした。

          場所は、鹿児島の西郷さんの銅像近くです。来年まで開催中とのことですので、お近くまで来られた際はぜひ訪ねてみてはいかがでしょうか。

          (エッセイの何本かを転載させて頂いています。カテゴリーからどうぞ^ ^)ノ )

           

          写真展 「百年の記憶 ウィルソンの見たかごしまの自然」実施要項

          1 趣旨 

          巨大な屋久杉の切株ウィルソン株を発見したウィルソンは桜島大正噴火の年から数度来日し,沖縄・小笠原からサハリンまでの植物を精力的に調査し,全国で約750,鹿児島で は約 120 (屋久島58枚を含む)の鮮明な写真を残している。ウィルソンの足跡にふれウィルソンの写真と同じ位置で撮った現在の写真を比較すると,鹿児島で起こった 100年間 の自然や人の暮らしの変化が見えてくる。古い写真から今までにおこった出来事を読み解く機会を提供する。

          2 期間
          平成 27 95()~平成28228()

          3 主催
          鹿児島県立博物館 特別協力 古居智子(作家)

          4 共催・後援
          南日本新聞社,KTS鹿児島テレビ,公益財団法人 カメイ教育振興財団,公益財団法人屋久島環境文化財団,ハーバード大学アーノルド樹木園,姶良市,鹿児島市,霧島市,薩摩川内市,屋久島町および各教育委員会,仙巌園 

          5 場所

          宝山ホール4階化石展示室

           6 内容

          (1) ウィルソンの人物像・経歴、ハーバード大学アーノルド樹木園長からのメッセージ等
          (2) 写真撮影地位置図
          (3) 写真と解説(撮影にいたる足跡と植物解説)特定された撮影地点 43 鹿児島新旧写真 34×2 城山10、蒲生7,狭野神社2,霧島(1914 年分)3,(1918 年分)2,藤川天神2,新田神社2,桜島4,仙巌園2ほか 屋久島新旧写真 8×2

          7 関連事業
          (1) 屋久島研究講座・博物館講演会(屋久島環境文化財団と共同開催)

          「ウィルソンの写真が語る人と自然」

           古居 智子 (作家)・寺田 仁志 (植物担当学芸主事)

          日時・会場 1017()14:00~ 県立図書館大研修室 

          (2) 科学教室「殿様が愛した庭園探訪」

           920()10:00~
          島津光久がつくり,ウィルソンも写真を撮った仙厳園の植物・景観について現地で解説する。

          (3) 科学教室「城山植物ウオッチング」

           1115()10:00~
          ウィルソンが歩き撮影した城山周辺の植物・景観について現地で解説する。

          (4)ミュージアムトーク
          14:00~
          平成2795(),10 17(),1115(),1226(), 平成2819(),221()

          (5) ドキュメンタリー映像製作 KTS鹿児島テレビ 展示風景,自然観察会,講演会風景を動画撮影し,会場だけでなく,出生地及び仕事場であったイギリス,米国だけでなく,調査地でもあった中国,香港および鹿児島県内で配信する。

           8 その他

          観覧料無料
          展示写真は期間途中で入れ替える
          写真提供 ハーバード大学アーノルド樹木園,川越保光,日下田紀三


          英国・植物学者:お帰り、100年前の桜 標本、鮮やかに(転載)

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            (写真)ウィルソン株(屋久島町2012年梅村直承撮影)
             

            ◇米ハーバード大保管 屋久島の作家の撮影写真を公開

             英国人の植物学者、アーネスト・ヘンリー・ウィルソン(1876〜1930年)が来日した際に採取した植物の標本の写真が、採取から1世紀を経て日本で公開されている。鹿児島県・屋久島在住の作家、古居智子さんが、米ハーバード大が保管するウィルソンの資料を紹介する活動の一環で、現地で撮影したもの。サクラの淡いピンク色が確認できるなど、太平洋戦争の戦火や開発にさらされる前の草花をよみがえらせる貴重な資料だ。

             ウィルソンは、屋久島で屋久杉の巨大な切り株を調査し、「ウィルソン株」の名前の由来となったことで知られる。珍しい植物を求めて旅するプラントハンターとして中国で調査した後、ハーバード大の依頼を受けて1914年と17年の2回来日した。1914年の来日時には当時整備されたばかりの鉄道網を使い、屋久島からサハリンまで日本を縦断したとされる。

             古居さんは4年前からウィルソンの国内の足跡を調べ始め、今年7月にハーバード大の標本館を訪れた際、ウィルソンが日本で収集したとみられる標本157点を確認した。標本には全国各地の地名が記され、コヒガンザクラの花(1914年東京)、オオイタビの葉、タチテンノウメの葉と花(いずれも1917年小笠原)、フクギの葉(同年沖縄)などがあった。

             ウィルソンは、日本のものも含め生涯で約1万6000点の標本と約7700枚の植物の写真を残したという。世界各地で進む樹木の伐採を心配していたといい、新聞のインタビューに「もし写真や標本で記録を残さなかったら、100年後にその多くは全て消えてなくなってしまうだろう」と話していた。

             古居さんによると、ウィルソンが撮影したり標本にしたりした樹木には、戦中の空襲や戦後の開発で失われたものが多いという。古居さんは「ウィルソンが残した写真や標本から、日本のこれまでの100年、そしてこれからの100年を考えてほしい」と話す。

             プラントハンターの歴史に詳しい国際日本文化研究センターの白幡洋三郎名誉教授は「ウィルソンは冒険家として知られていたが、標本からは研究者として植物と真摯(しんし)に向き合う姿勢が伝わってくる」と話す。

             これらの標本の写真は、鹿児島市内で開かれている写真展「百年の記憶 ウィルソンの見た鹿児島の自然」で来年2月末まで公開される。【斎藤広子】

             ◇意義深い資料

             国立科学博物館の岩科司・植物研究部長の話 標本の中でも、小笠原で採取された植物に、すでに絶滅したものが含まれていれば非常に貴重な資料になる。100年前の日本で樹木を中心にした写真も恐らくなく、100年間の樹木の成長を知るうえでも意義深い。

            転載元:毎日新聞 2015年9月26日 ネット配信分
             

            以下、米ハーバード大学標本館提供
            (C) Harvard University


            アーネスト・ヘンリー・ウィルソン



             

              

                (写真補足)
             
              左上:コヒガンザクラの花
                  (1914年3月に東京で採取)

              右上:タチテンノウメ
                  (1917年4月に小笠原で採取)

               左:フクギの葉
                  (1917年3月に沖縄で採取)




             





             


            植物学者ウィルソンのかごしまの記録

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              写真展「百年の記憶ウィルソンの見たかごしまの自然」を宝山ホールまで見に行きました。
              縄文杉と並んでよく知られる屋久島のウィルソン株。その名付け親でもあるイギリスの植物学者、アーネスト・ヘンリー・ウィルソンの足跡を彼の撮った写真から辿ります。
              告知に書かれている通り、様々な植物の背景にある100年前の風景も合わせて興味深く拝見しました。写真に添えられた説明文からも本当に植物を愛した人だと分かり、見に行って良かったです。
              書き留めたメモや覚え書きの中からいくつかご紹介したいと思います。

               

              • 1914年と1917年から18年にかけて来日

                 針葉樹と桜の調査のため、訪れた。

                 

              • 1914年2月来鹿

                 蒲生や屋久島を中心に。
                 1月に大噴火したばかりの桜島の貴重な写真も数点あり。

               

              • 日本の植物学者や住民との親交

                 高名な植物学者である牧野宮太郎氏や、旧制加治木中教諭であり、のちに京都大学講師となった植物学者田代善太郎氏と親交を深める。
                 また、同行した田代さんや屋久島の青年達にウィルソンは屋久島の将来を託す、
                 「色んな国を旅してきたが、この森ほど素晴らしい森はなかった。この森を守ってほしい」。
                 その後の田代さんの活動は、屋久島の国立公園としての登録や現在に至る世界自然遺産登録に大きな影響を与えた。
               

              • 3月3日

                 カンヒザクラ(寒緋桜)
                 「この愛らしさを表現する言葉は思い付かない」
                 「下向きに咲く様子はまるで釣り鐘のようだ」
                 

                


                


              (写真提供)無料写真素材サイト 写真AC


                 中国、台湾、石垣島に自生。
                 石垣島では、冬を告げる花。早咲きの桜の園芸種の親となる。

               

              • 1918年5月

                 ミヤマキリシマの群生地に感嘆する。
               

              • クルメツツジの美しさ

                 「My princess」



              ちなみに、私が訪れた日は写真展の最終日だったのですが、展示自体は来週の日曜日(6日)まで続けられて引き続きいつでも観覧することができるそうです。


                (展示場所)宝山ホール4階 化石展示室

                (開館時間)9:00〜17:00
               



               


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