教育勅語

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    文明開化に浮かれて軽薄に流れる人々を憂いて、明治天皇が薄れそうになる精神を示されたお言葉が教育勅語です。井上毅(こわし)と元田永孚(ながざね)が中心となり、文章の起案に当たりました。

     

     

     

    口語訳も添えて記してみました。「教育勅語」と、なんとなくそう聞くだけで敬遠する方も一読のほどを。

     

    国の骨幹。

    素朴で明るいなんとなく明治天皇の想いの強さも感じられるけれど、儒教が入る前の日本古来の普遍的な考え方のような気がします。

    日本だけでない人間的な。

     

    文中に出てくる皇運とは国の運ではないでしょうか。冒頭に「我カ皇祖皇宗國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」とあります。

    我が祖先が目指した日本の日本たるゆえん。君と知らしめられた民との結び付き。

    この先も途絶えさせることなく、受け継いでいかなければなりません。

     

     

     

     

     

    教育ニ関スル勅語

     

    朕󠄁惟(おも)フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁(はじ)ムルコト宏遠󠄁(こうえん)ニヲ樹ツルコト深厚ナリ

    我カ臣民克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ外薀諒ジ史鰌蕁覆犬帖縫忘 覆海魁縫紡献

    爾臣民父母ニ孝ニ兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉(きょうけん)己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業(ぎょう)ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ器ヲ成就シ進󠄁(すすん)テ公益ヲ廣メ世務(せいむ)ヲ開キ常ニ國憲ヲ重(おもん)シ國法ニ遵󠄁(したが)ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ

    是(かく)ノ如キハ獨(ひと)リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン

     

    斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁

    之ヲ古今ニ通󠄁(つう)シテ謬(あやま)ラス之ヲ中外(ちゅうがい)ニ施シテ悖(もと)ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺(ふくよう)シテ咸(みな)其ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁(こいねが)フ

    明治二十三年十月三十日

    御名御璽

     

     

     

     

     

     

    教育に関する勅語

     

     私は、私達の祖先は遠大な理想のもとに日本の国を始められ、深慮のもとに徳を打ち立てになられたものと信じます。そして、国民が忠孝両全の道を全うし、心を合わせて努力した結果、今日に至るまで見事な成果をあげて参りました中には、日本のすぐれた国柄の真髄にして教育の根本となるものの存在がまた、いかにも見られます。

     

     国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、公共の利益や、世間の務めに尽力し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて国の平和と安全に奉仕し、そして、果てしなく広がる天地とともにこれからも続く、国の定めを助けなければなりません。このようなことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

     

     この国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また、日本ばかりでなく、外国にて行っても間違いのない道でありますから、私はあなたたち国民と共に、胸に留めて決して忘れず、皆で立派な日本人となれるよう、心から念願するものであります。

    明治二十三年十月三十日

    御名御璽

     

     

    こちらの口語訳は、国民道徳協会訳文を基に加筆しました。

     

     

     

     


    「国が率先して人の負の感情をあおるということ」と記した民主党政権時代の覚書を見つけた

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      記憶も新しい舛添さんへの、そして昨今のマスコミ主導のこの狂騒。

      石原さんの百条委員会への招致しかり、森友学園関連の国会質疑や取材攻勢しかり。

      今率先しているのは。

       

       

      あの時より、今のほうがよく分かる。

      みんな、しっかりして。

       

       

       

      覚書を全部移すと長くなるので、少し切り貼りしています。

      通して読みたい方はこちらのリンクから。

      ブログ「In Deep」から抜粋させていただきました。

      「殺され続ける詩人シナ」より(2012年9月12日)

       

      『ある異常体験者の偏見』 アントニーの詐術  山本七平 1973年より。

       

       

      原則は非常に簡単で、まず一種の集団ヒステリーを起こさせ、そのヒステリーで人びとを盲目にさせ、同時にそのヒステリーから生ずるエネルギーが、ある対象に向かうように誘導するのである。これがいわば基本的な原則である。ということは、まず集団ヒステリーを起こす必要があるわけで、従ってこのヒステリーを自由自在に起さす方法が、その方法論である。

       

      この方法論はシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』に実に明確に示されているので、私が説明するよりもそれを読んでいただいた方が的確なわけだが、……実は、私は戦争中でなく、戦後にフィリピンの「戦犯容疑者収容所」で、『シーザー』の筋書き通りのことが起きるのを見、つくづく天才とは偉大なもので、短い台詞によくもこれだけのことを書きえたものだと感嘆し、ここではじめて扇動なるものの実体を見、それを逆に軍隊経験にあてはめて、「あれも本質的には扇動だったのだな」と感じたのがこれを知る機縁となったわけだから、まずそのときのことを記して、命令同様の効果のもつ扇動=軍人的断言法の話法に進みたい。

       

      まず何よりも私を驚かしたのは『シーザー』に出てくる、扇動された者の次の言葉である。

       

      市民の一人 名前は? 正直に言え!

      シナ    シナだ。本名だ。

      市民の一人 ブチ殺せ、八つ裂きにしろ、こいつはあの一味、徒党の一人だぞ。

      シナ    私は詩人のシナだ、別人だ。

      市民の一人 ヘボ詩人か、やっちまえ、ヘボ詩人を八つ裂きにしろ。

      シナ    ちがう。私はあの徒党のシナじゃない。

      市民の一人 どうだっていい、名前がシナだ・・・やっちまえ、やっちまえ・・・

       

      こんなことは芝居の世界でしか起こらないと人は思うかも知れない。……しかし、「お前は日本の軍人だな、ヤマモト! ケンペイのヤマモトだな、やっちまえ、ぶら下げろ!」、「ちがいます、私は砲兵のヤマモトです! 憲兵ではありません」、「憲兵も砲兵もあるもんか、お前はあのヤマモトだ、やっちまえ、絞首台にぶら下げろ」といったようなことが、現実に私の目の前で起こったのである。

       

      これについては後で後述するが、これがあまりに『シーザー』のこの描写に似ているので私は『シーザー』を思い出したわけである。新聞を見ると、形は変わっても、今でも全く同じ型のことが行われているように私は思う。

       

      一体、どうやるとこういう現象が起こせるのか。扇動というと人は「ヤッチマエー」、「ヤッツケロー」、「タタキノメセー」という言葉、すなわち今の台詞のような言葉をすぐ連想し、それが扇動であるかのような錯覚を抱くが、実はこれは、「扇動された者の叫び」であって、「扇動する側の理論」ではない。

       

      すなわち、結果であって原因ではないのである。ここまでくれば、もう先導者の任務は終わったわけで、そこでアントニーのように「……動き出したな、……あとはお前の気まかせだ」といって姿をかくす。というのは、扇動された者はあくまでも自分の意志で動いているつもりだから、「扇動されたな」という危惧を群衆が少しでも抱けば、その熱気が一気にさめてしまうので、扇動者は姿を見せていてはならないからである。(中略)

       

      従って、扇動された者をいくら見ても、扇動者は見つからないし、「扇動する側の論理」もわからないし、扇動の実体もつかめないのである。扇動された者は騒々しいが、扇動の実体とはこれと全く逆で、実に静なる理論なのである。

       

       

       

       

      (そして、しばらく後にこのように続きます)

       

       

      事実、事実、事実、事実とつなぎ、その間にたえず、「……でしょうか? ……でありましょうか? ……このことを考えてみましょう! ……たとえそう見えたとしても……ではないでしょうか?」ということばでつなぐ。

       

      これをやっていくうちにしだいに群衆のヒステリー状態は高まっていき、ついに臨界値に達し、連鎖反応を起こして爆発する。……ヤッチマエー、ぶら下げろ−、土下座させろー、絞首台へひったてろー、……から、ツツコメ、ワーまで。

       

       

       

       

      私は上にあるシェークスピアの芝居の中にある「どうだっていい、同じ〇〇だ、やっちまえ」という台詞をこの10年くらいだけでも何度見てきたことか、と思います。

       

      その人がいいとか悪いとかではなく、「どうだっていい、同じ〇〇だ」という事例。

       

      同時多発テロのあとの西欧社会のイスラム教徒、領土問題などで利用される際の反〇〇運動(日本、中国、韓国など)、原発問題のあとの電力会社の社員に対して・・・ etc 。

       

      世界中で無限に今も続く「どうだっていい、同じ〇〇だ」 のループ。

       

      そして、上の七平さんの書いてる通りに、

       

       

      扇動された者は騒々しいが、扇動の実体とはこれと全く逆で、実に静なる理論なのである。

       

       

       

      私の好きな言葉を思い出します。

       

      「悲しい、とても悲しい話をしよう

      いつもと変わらない、それは一体どういうことだ

      そんなことはっ、不良少年どもしか分からない

      分からないことを嘆くのはたやすい

      俺はたやすい男ではないからこれ以上嘆かない

      とりあえず俺は悲しいが、おまえたちは、楽しいだろう」

       

       

       

       


      築地と豊洲(2)、現場を前に進める務めを果たせ(石原元都知事の手紙)

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        厄介な人達を味方に引き入れたものです。

        味方の少ない小池都知事は共産党に食いつかれた、と前回の動画でありましたが、正にその通り。

        彼らは原発の時は「ゼロリスク」を示せと周りを困らせていましたね。

        私たちは「理想郷」ではなく、「現世」を生きなければならない。

         

        そもそもの始まりは、築地中央卸市場の老朽化対策、それと、時代に合わせた改革のためでした。

         

        建物の老朽化

        ・昭和10年に建設された。

        ・アスベストが含まれる。再整備、あるいは移転の際に処理される予定。

         

        環境面からのアプローチ

        ・今ある技術を駆使した結果、豊洲新市場は開設後も「安全」に運営される体制が整った。モニタリング調査との整合性もある。

        ・HACCPが2018年に日本においても義務化される。今のところ、豊洲はその基準を満たしている。築地は再整備されない限り、条件は劣悪なままとなり、加工品の拡充など次の展望が見えない。中小企業などに対しては弾力的な運用はされると思われるが、大きな市場であるし、「築地」という名前は世界的に注目されているソフトブランドなので、この点から見ても、市場関係者は窮地に陥っている。

         

        ※HACCP=略称ハサップ。食品の製造や加工に対して食品衛生を守ろうと国際的に考え出された衛生管理の手法。国連下のWHO(世界保健機関)やFAO(国連食糧農業機関)が主導している。仲卸にはB基準が適用される。

        ※[3月25日追記]築地に7社ある水産卸のうち「第一水産」が6日付で、食品安全マネジメントの国際規格FSSC 22000(より明確)と、日本版HACCP「JFS-E」のB規格の認証を得たと発表しました。

         

        移転中止兼築地再整備の問題点

        ・市場は生鮮食品を扱う場所。アスベストなどが含まれるため、営業しながらの改修、再整備はかなりの時間がかかる。今までも何回か検討されながら、無理だと判断されてきた。

        ・移転中止に対する市場関係者への保障はかなりの額にのぼる。これは都の財政から支払われることになる。

        ・環状2号線は都心から選手村への通り道。築地市場跡を通って造られる予定なので、このままだと工事が進まないままオリンピックを迎えることになる。

         

         

         

         

        東京都議会が百条委員会(調査特別委員会)を設置する方針を決めました。

         

        さらし者にしようとしている。

        あんなに東京のために力を尽くした御仁なのに。

        それでいいの、東京都民の方々。

         

        多少、口は悪いかもしれませんが、「warm heart」がある首長だったではありませんか。

         

        ディーゼル規制に関してはニュースに疎かった私も覚えています。パリや北京の大気汚染を対岸の火事と眺めていられるのは、石原さんのおかげです。恩を仇で返すのでしょうか。

         

         

        Tweetから

        同じ事何度でも呟きます。日本中の皆さん、今、豊洲の土壌汚染が〜とデマばら撒く共産移転反対派と、#小池都知事 が、石原氏に対して故無き訴訟を謀ってます。でもね、皆さん、皮肉な事に23区内の空気中のベンゼン濃度って、石原都政以前は、現在の基準値の2〜3倍あったんです。(2017/2/17)

        (※この場合の基準値は、大気中の環境基準値)

         

         

        移転決定までの経緯

         

        平成10年代に都庁に勤めていましたので、中央市場局にいたことはありませんが、移転決定までのゴタゴタはずっと見ていました。あれだけ揉めた中でまとめ上げたのは凄いことだなあと思ってました。で、「石原大型公共事業反対」の格好の標的にされたんですよね…(2016/9/11)

         

         

        そうでしたか!最後までまとまらなかった水産仲卸が落ち着いたのは、仲卸一軒一軒に送った石原知事からの手紙が大きかったと思います。その後現東卸理事長のご尽力、都の協力があったればこそ、ここまで漕ぎ着けられたんです。最後の最後でやられてますが…w(2016/9/12)

         

        また、市場問題PTによる築地市場業者へのヒアリングでは。

         「私共、ここへ至るまでに30年以上、東京都の皆さん、設計会社の皆さんと色んな議論を尽くしてきました。今日、問題提起された内容は全てその中に含まれております。その中でいろんな議論をしながら到達したのが『ここ』なんです。」2016/11/20

         

        オレたち築地市場の全事業者宛に平成22年10月に配られた、石原知事からの手紙。

        汚染「除去」手法を編みだし…と書いてあった。(2016/9/13)

         

         

         

        拝啓 時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。

        日頃より、首都圏三千三百万人の食を支えるため、ご尽力されていることに深く敬意を表し、感謝いたします。

         

        さて、この度、私は東京都知事として、築地市場の豊洲移転を進めていくことを決断いたしました。

        築地市場の再整備が持ち上がったのは二十五年以上も前、鈴木都政の時代のことであります。

        当初の築地・現在地再整備が残念ながら頓挫した後、業界自ら苦い経験を糧にして、築地の街に深い愛着を持ちつつも、豊洲での新市場建設に活路を見出されました。

        都としても、共に協議を重ねて、平成二十六年度の開場を目指してまいりました。

         

        本年の第一回都議会定例会では、移転のための予算が認められた一方、議会として現在地再整備について検討したいとの意向が示されたことから、結論を待っておりました。

        議会の検討からは、現在地再整備の困難さが、改めて明らかとなりました。仮に全てが順調に進んでも十数年の月日がかかることがわかりました。現在地再整備が選択肢たり得ないことは明白ですが、議会は結論を先送りし、今後の見通しも示しておりません。

        ならば、知事としての責任で大きく歯車を回すしかありません。なにより、築地市場を取り巻く情勢が、先送りを許しません。

         

        開場から七十五年が経過し老朽化は窮まっております。
        観光客の賑わいとは裏腹に、今後求められる品質・衛生管理の水準に応えられず、産地・顧客ニーズへの対応もままなりません。新市場整備が先に延びるほど、厳しい経営環境が、一段と悪化するのは必至です。

         

        先般、業界団体から

        「議会の現在地再整備案では実際には二十年かかり、とても待てない。豊洲に新市場を開設して欲しい。」

        旨の切実なご要望を頂きました。

        市場の未来を見据え長い時間をかけて議論をまとめてきた業界の労苦に応えるためにも、先も見えぬまま待つ不安と焦燥に区切りを付けるべく、決断をいたしました。

         

        今後、豊洲移転に全力を傾けてまいります。

         

        移転予定地の土壌汚染対策については、我が国最高権威の学者の方々の英知もお借りして、日本の優れた先端技術を活用した汚染除去手法を編み出し、現地での実験も済ませております。安全・安心の確保は十分可能であり、万全を期してまいります。

        移転を具体的に進めていくにあたり、皆様がそれぞれに抱える課題・不安・心配は様々であります。これらに丁寧に耳を傾けながら、皆様と共に知恵を絞ってまいります。

         

        首都の行政を預かる知事として、現実に立脚し、複合的に発想して、今回の決断をいたしました。

        皆様のご理解、ご協力をよろしくお願いいたします。

        敬具 

         

        平成二十二年 十月
        東京都知事 石原慎太郎

        築地市場事業者の皆様

         

         

        ブログ「目が覚めて思うこといろいろ」

         詳細な記事の数々。後半のほとんど、写真や手紙の内容など幾つか転載させていただきました。

         

        また、信輔さん、noriさんのTweetからの情報もたくさん拝借させていただいています。

         

         

         

         

         

         


        築地と豊洲(1)、幾重にも重ねられた汚染回避と都市計画(電子書籍紹介)

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          《電子書籍紹介》

           

          「安全」なのか分からないから、「安心」とは言えない。

          結論が曖昧なまま、なんとなく不安を覚えている人は多いのではないでしょうか。

           

          ならば、そこを紐解いていきましょう。

          結局、豊洲新市場は「安全」なのかどうなのか。

          また、「安全」とは一体何を指すのか。

          冷静かつ分かりやすい。耳慣れない言葉もひとつひとつ図解を交えながら解説していく。中央卸市場の豊洲移転にまつわる一連の騒動をまとめた良書。

           

           

          「1時間でだいたい分かる。築地問題の話を図解しました。」

           高橋洋介 著  電子書籍(Kindle版)250円

          Amazonにて販売中。

          kindle unlimited(100万冊以上読み放題)でも読めます。

           

          key word:

          地下水浄化プラント・地下ピット

           

          抜粋:

          「現在の豊洲市場の地下は汚染されているどころか、現在の東京の湾岸部で一番きれいな土壌の可能性がある。」

           

          「地下水を利用する予定は一切ない。」

           

          「無責任な報道は、ついに政治問題に発展してしまったわけです 」

          「 そもそもこれらは築地の移転問題とは何ら関係がありません。それなのに、このようなゴタゴタを断片的にしか知ることのできない視聴者には「豊洲はけしからん」という漠然とした印象ばかりが 残ってしまったのです。」

           

           

           

          石原慎太郎元都知事が巻き込まれたり、豊洲の住民が移転の是非を問う住民投票を課せられそうになっていたり、収束することなく話が妙な方向に行っていますね。

          豊洲の住民は、同時に風評被害にも悩まされています。

           

          ぜひ読んでいただきたいですし、東京在住の方や、なんだかよく分からんね、という周りの方にも勧められると思います。

           

           

           

          石原さんの後ろ盾になれば。

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          月曜日のプライムニュースで、森喜朗氏が「環状2号線が間に合わない。ゼネコンに聞くと3月がリミット」と心配されていたそうです。

          東京オリンピックへ向けての大切な準備のひとつ。

          あまり時間がありません。

           

           

           

          《書籍発行後の動き》

           

          9回目のモニタリングで急に分析値が高く出たことについて、再調査の動きが始まっています。想定外のデータが得られたら、暫定値として据え置いて再検証するのは当然の流れでしょう。

           豊洲市場(東京都江東区)の地下水モニタリング調査に関し、16日、都は近く実施する再調査は、大幅に基準値を超えた場所を中心に30カ所程度で実施する方針を明らかにした。測定結果の精度を高めるため3機関に依頼する。

          産経ニュース 2017年1月17日配信より

           

          3月にその結果は出る模様です。

           

          この一連のモニタリングは、「安全」かどうかではなく、「理想」どおりかどうかを調べているように思えます。それは技術者達が、理想である完璧を目指して自らを追い込んできた証でもあるのですが。

          厳しい基準設定(水道水並み)だけでなく、排水基準も比較対象に加えたり、浄化プラント(※1)から敷地外へ排出される排水も一緒に調査するなど、適切で、現実的な判断が下されることを望みます。

           

          例えば、前回に近い分析結果が出たならば、それでも「安全」であることに変わりはないのですから、「安心」の敷居を一段下げて、豊洲移転にGoサインを出す(※2)。

          都民の不安を一斉に払拭できる判断と決断は、現都知事など一部の政治家にしかできません。「現場を前に進める務めを果たせ」、ですよね。混乱の犯人探しや住民へ責任転嫁している場合ではありません。中心に立つ者の臨機応変さが、問題解決への一番の近道です。

           

          (※1)排水基準以上の地下水は、ここで浄化されてから排水される。

          (※2)ベンゼンなどの揮発性物質について、地下水環境基準の100倍の濃度でも地上空気の環境基準は保たれることが豊洲の専門家会議の計算によって示されています。地下ピット内の空気も今現在、留意するべき汚染は何ら見られていないということです。

           

           

          (補足資料)

          各有害物質は下記を超えないことが求められる(おおまかなもの・排水基準を1とした時)

           

          [環境省] 

          排水基準                    1      

           

          地下水環境基準・土壌環境基準(溶出基準)    1/10

          (くみ上げて使う飲料用水を対象としたもの)

           

          [厚生労働省]

          水道水質基準                  1/10

          (水道水…飲料用上水)

           

           

          魚屋+議員+議員=本音トーク「報道特注(右)」テーマ)洲問題

           

           

           


          新年の抱負(丁酉・ひのととり)

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            早、松の内も過ぎまして。

             

            今年のお正月はおせちにお雑煮、おでんまで。堪能しました。

            初詣ももちろん行きましたよ。

            おみくじに付いていた和歌はこちら。

             

            荒れくるう嵐のあとの末遂に

            道は隠れぬ雪降りつもれば

             

             

             

            たった今あるいは今年これから。

            にっちもさっちもいかないと天を仰ぐことがきっとあるでしょう。

             

            でも、ああ遂にと嘆く前に。

            春は必ずやってくる。

            太陽の光がきっと雪を溶かす時がくる。

            それを忘れてやいませんか。

             

            大事なのは、落ち着いて考えること。

            手立ては必ずあるはず。

            生まれついた時代のなかで、限られた自分の時間をどう活かすか、どの道を選ぶかだけは決めることができるのだから。

             

             

            誰にとりましても豊かで実りある一年が訪れますように。

             

             

             

             


            外国人から見た日本と日本人(抜粋)

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              くっくりさんのブログで昔から続いている「外国人から見た日本と日本人」シリーズの中の、一番最初のエントリー(07/10/16)からの抜粋です。

               

               

              C・P・ツュンベリー=スウェーデン人。医師・植物学者。ケンペル、シーボルトと並んで「出島の三学者」と謳われた。1775年(安永4年)来日。

              「江戸参府随行記」より

               

               地球上の民族のなかで、日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。・・・その国民性の随所にみられる堅実さ、国民のたゆまざる熱意、そして百を超すその他の事柄に関し、我々は驚嘆せざるを得ない。政府は独裁的でもなく、また情実に傾かないこと、・・・飢餓と飢饉はほとんど知られておらず、あってもごく稀であること、等々、これらすべては信じがたいほどであり、多くの人々にとっては理解にさえ苦しむほどであるが、これはまさしく事実であり、最大の注目をひくに値する。

               

              (中略)日本人の親切なことと善良なる気質については、私は色々な例について驚きをもって見ることがしばしばあった。それは日本で商取引をしているヨーロッパ人の汚いやり方やその欺瞞に対して、思いつく限りの侮り、憎悪そして警戒心を抱くのが当然と思われる現在でさえも変わらない。国民は大変に寛容でしかも善良である。

               

              (中略)正義は外国人に対しても侵すべからざるものとされている。いったん契約が結ばれれば、ヨーロッパ人自身がその原因を作らない限り、取り消されたり、一字といえども変更されたりすることはない。

               

              タウンゼント・ハリス=初代米国総領事。1856年(安政3年)来日。

              「日本滞在記」より

               

               彼ら(日本人)は皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない−これが恐らく人民の本当の幸福というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるか、どうか、疑わしくなる。私は、質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも、より多く日本において見出す。

               

              バジル・ホール・チェンバレン=イギリス人。1873年(明治6年)〜1905年(明治38年)、日本で教師として活躍。

              「日本事物誌1」より

               

               日本人の間に長く住み、日本語に親しむことによって、この論文の後半において簡単に述べた最近の戦争や、その他の変化の間における国民のあらゆる階級の態度を見ることができたが、これらの外国人すべてに深い印象を与えた事実が一つある。それは、日本人の国民性格の根本的な逞しさと健康的なことである。極東の諸国民は――少なくともこの国民は――ヨーロッパ人と比較して知的に劣っているという考えは、間違っていることが立証された。同様にまた、異教徒の諸国民は――少なくともこの国民は――キリスト教徒と比較して道徳的に劣っているという考えは、誤りであることが証明された。

               

               過去半世紀間、この国のいろいろな出来事を充分に知ってきたものは誰でも、ヨーロッパの総てのキリスト教国の中に、日本ほど前非を認めるのが早く、あらゆる文明の技術において教えやすく、外交においては日本ほど率直で穏健であり、戦争に際してはこれほど騎士道的で人道的な国があろうとは、とうてい主張できないのである。もし少しでも「黄禍」があるとするならば、ヨーロッパ自身の良き性質にもまさるさらに高度の良き性質を、その新しい競争相手が所有しているからにほかならない。このように驚くべき成果が生じたのは、日本人が苦境に立たされていることを自覚し、断乎として事態を改善しようと決意し、全国民が二代にわたって熱心に働いてきたからにほかならない。

               

              (引用者注:「黄禍」=19世紀半ばから20世紀前半にかけて、アメリカ・ドイツ・カナダ・オーストラリアなど白人国家において、アジア人を蔑視し差別する「黄禍論」が現れた)

               

              エドワード・シルベスタ・モース=アメリカ人。明治10年代に計3回日本に滞在。東京大学で生物学を講じた。大森貝塚を発見。

              「日本その日その日1」より

               

               外国人は日本に数カ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っているらしいことである。

               

               衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正さ、他人の感情についての思いやり・・・・これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。

               

               こう感じるのが私一人でない証拠として、我国社交界の最上級に属する人の言葉をかりよう。我々は数ヶ日の間ある田舎の宿屋に泊まっていた。下女の一人が、我々のやった間違いを丁寧に譲り合ったのを見て、この米国人は「これ等の人々の態度と典雅とは、我国最良の社交界の人々にくらべて、よしんば優れてはいないにしても、決して劣りはしない」というのであった。

               

              アリス・ベーコン=アメリカ人。1881年(明治14年)来日。華族女学校(後の学習院女学校)の英語教師として活躍。

              「明治日本の女たち」より

               

               平民階級を語る上で忘れてならないのは、その多くを占める職人である。

               日本が芸術や造形、色彩の美しさを大切にする心がいまだにある国として欧米で知られているのは、彼等の功績である。

               

               職人はこつこつと忍耐強く仕事をしながら、芸術家のような技術と創造力で、個性豊かな品々を作り上げる。買い手がつくから、賃金がもらえるから、という理由で、見本を真似して同じ形のものや納得できないものを作ることはけっしてない。日本人は、貧しい人が使う安物でさえも、上品で美しく仕上げてしまう。一方、アメリカの工場で労働者によって作り出されるあらゆる装飾は、例外なくうんざりするほど下品である。

               

              (中略)もちろん、日本の高価な芸術品は職人の才能と丁寧な仕事をよく体現している。しかし、私が感心したのはそのような高級品ではなく、どこにでもある、安い日用品であった。貴族から人夫にいたるまで、誰もが自然のなかにも、人が作り出したものにも美を見出し、大切にしている。

               

              レジナルド・カーニー=アメリカ人。歴史学者。黒人学専攻。ハンプトン大学助教授。

              「20世紀の日本人−アメリカ黒人の日本人観 1900〜1945」(1995年発行)より

               

               第一次大戦が終わると、ヨーロッパの戦勝国は世界の秩序をもとに戻そうとパリで講和会議を開いた。それぞれの国にはそれぞれの思惑があったが、一致していたのは、日本とアメリカからの申し入れには耳を傾けよう、という姿勢だった。

               

               ウィルソン大統領は、世界秩序回復のための十四カ条を手に、パリに乗り込んだ。彼がまず唱えたのは、国際法と国際秩序の確立であった。日本の代表団は、ウィルソンが出せなかった十五番目の提案を持って講和会議に出席した。「わが大日本帝国は、国際連盟の盟約として、人種平等の原則が固守されるべきことを、ここに提案する」。これこそが、いわゆる十五番目の提案であった。……人類平等の実現をめざしていた日本と、そうでなかったウィルソン、その差がここに出たといってもよいだろう。

               

               もし日本のこの十五番目の提案が実現されていれば、アメリカ黒人にとって、おもしろいパラドックスが生じていたかもしれない。……アメリカ黒人がほかの連盟国の人間と同じように、民主的に扱われるためには、アメリカ以外の外国に住まねばならなかったはずである。そんなパラドックスが生じていたかもしれないのだ。……「おそらく世界で最も有望な、有色人種の期待の星」、それが日本であるという確信。日本はすべての有色人種に利益をもたらすという確信があったのだ。それは、たとえ一つでも、有色人種の国家が列強の仲間入りをすれば、あらゆる有色人種の扱いが根本的に変わるだろうという、強い信念によるものだった。……全米黒人新聞協会は、次のようなコメントを発表した。「われわれ黒人は、講和会議の席上で、人種問題について激しい議論を闘わせている日本に、最大の敬意を払うものである」「全米千二百万の黒人が息をのんで、会議の成り行きを見守っている」。

               

              (引用者注:日本が提出したこの「人種差別撤廃法案」の投票結果は賛成17、反対11であったが、委員長を務めていたウィルソンが、かような重要案件は全会一致でなければいけないとして、不採択を宣言した)

               

              フランク・ロス・マッコイ陸軍少将=リットン調査団のアメリカ代表。

              「朝鮮新話」(鎌田沢一郎)(昭和25年発行)より

               1932年(昭和7年)に宇垣一成・朝鮮総督に語った言葉

               

               自分は昨夜来東洋における一つの驚異を発見した。それは、今回の長い旅行における大きい収穫であつた。同時に、自分の今日までの研究不足をしみじみと愧(は)ぢている。何であるかといへば、朝鮮に対する全般的な認識の相違である。

               

               吾々は、朝鮮といふ所は、地理的には大体満州の延長であるから、相変らず匪賊(盗賊)が横行し、産業も振るはず、赭土(あかつち)色の禿山の下で、民衆は懶惰(らんだ)の生活を送つてゐるものとばかり思つてゐた。然るに列車が一度鴨緑江の鉄橋を越ゆるや車窓に隠見する事々物々、皆吾々の予想に反し、見渡す山河は青々として繁茂し、農民は水田に出て、孜々(しし)として耕作に従事し平壌その他工業地帯の煙突は活発に煙を吐き、駅頭に散見する民衆は皆さつぽりした衣服を纏(まと)い、治安はよく維持せられていて何ら不安はなく、民衆は極めて秩序正しく行動し、且つその顔に憂色がなく、満州に比べて実に隔世の観がしたのである。

               

               これはとりもなほさず、貴国の植民政策が妥当であつて、歴代の総督が熱心に徳政を施された結果であることを卒直にお歓びすると同時に、今後における吾々の朝鮮観を根本より改めるであらう。

               

              ククリット・プラモード=タイ国元首相。

              現地紙「サイアム・ラット紙」1945年12月8日付より

               

               日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。

               

               十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。

               

              氏名不詳(英軍中尉)

              「アーロン収容所」(会田雄次=歴史学者。1943年に応召しビルマ戦線に歩兵一等兵として従軍、イギリス軍の捕虜となった)より

               

               私たちの将校は「日本が戦争をおこしたのは申しわけないことであった。これからは仲よくしたい」という意味のことを言った。

              (中略)英軍中尉は非常にきっとした態度をとって答えた。

               

               「君はスレイブ(奴隷)か。スレイブだったのか。(中略)われわれはわれわれの祖国の行動が正しいと思って戦った。君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。負けたらすぐ悪かったと本当に思うほどその信念はたよりなかったのか。それともただ主人の命令だったから悪いと知りつつ戦ったのか。負けたらすぐ勝者のご機嫌をとるのか。そういう人は奴隷であってサムライではない。われわれは多くの戦友をこのビルマ戦線で失った。私はかれらが奴隷と戦って死んだとは思いたくない。私たちは日本のサムライたちと戦って勝ったことを誇りとしているのだ。そういう情けないことは言ってくれるな」

               

              ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。戦前、戦後に来日。連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバー。

              「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

               

               つい五年ほど前、米英両国の軍隊と砲艦が自国民の生命財産を守るために中国の「盗賊」を攻撃したとき、両国の世論は中国人を野蛮人と呼んで非難した。イギリスとアメリカの国民は忘れているようだが、日本人はよく覚えている。ところが、日本が同じように中国の「盗賊」を攻撃すると、同じ国民が日本人を野蛮人と呼ぶのである。

               

              ダグラス・マッカーサー=アメリカ人。日本占領連合軍最高司令官。

              1951年(昭和26年)5月3日、アメリカ合衆国議会上院の軍事外交合同委員会で行われた証言

               

               日本は八千万に近い膨大な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。

               

               潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいずれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの地点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産している時の方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでもよいようなものを発見していたのです。

               

               これほど巨大な労働能力を持つているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。

               しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。

               

               日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。

               

               もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。

               

              ラダビノード・パール=極東国際軍事裁判のインド代表判事。

              1952年(昭和27年)11月、広島高裁での歓迎レセプションにおける発言

               

               わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それをわたくしは判決文の中に綴った。 

               

               このわたくしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。 そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。

               

               満州事変から大東亜戦争勃発にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・退廃に流されてゆくのを、私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書き換えられねばならない。

               

              ラダビノード・パール=極東国際軍事裁判のインド代表判事。

              1952年(昭和27年)11月、東京弁護士会での講演における発言

               

               日本人はこの裁判の正体を正しく批判し、彼らの戦時謀略にごまかされてはならぬ。日本が過去の戦争において国際法上の罪を犯したという錯覚におちいることは、民族自尊の精神を失うものである。自尊心と自国の名誉と誇りを失った民族は、強大国に迎合する卑屈なる植民地民族に転落する。

               日本よ!日本人は連合国から与えられた《戦犯》の観念を頭から一掃せよ。

               

              朴鉄柱=韓国人。大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業。住吉神社に奉職。終戦後、韓国に帰国。李承晩大統領の反日政権下にあり、辛酸を嘗めさせられた。1954年(昭和29年)韓日文化研究所を設立。1990年逝去。

              「日韓共鳴二千年史」(名越二荒之助編著)より

               1967年(昭和42年)に訪韓した名越二荒之助に語った言葉

               

               現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。“事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。

               

               日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争――この二つの捨身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。

               

              (中略)大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦争に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、聖なる戦争であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。

               

              ラジャー・ダト・ノンチック=マレーシア人。南方特別留学生として日本で学び、戦後独立運動に参加。元上院・下院議員。1994年逝去。

              「日本人よありがとう マレーシアはこうして独立した ラジャー・ダト・ノンチックの半生記」(土生良樹)より

               

              かつて 日本人は 清らかで美しかった

              かつて 日本人は 親切でこころ豊かだった

              アジアのどの国の誰にでも

              自分のことのように 一生懸命つくしてくれた

               

              何千万人もの 人のなかには 少しは 変な人もいたし

              おこりんぼや わがままな人もいた

              自分の考えを おしつけて いばってばかりいる人だって

              いなかったわけじゃない

               

              でも その頃の日本人は

              そんな少しの いやなことや 不愉快さを越えて

              おおらかで まじめで 希望に満ち明るかった

               

              戦後の日本人は 自分たち日本人のことを

              悪者だと思い込まされた

              学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから

              まじめに 自分たちの父祖や先輩は

              悪いことばかりした残虐無情な

              ひどい人たちだったと 思っているようだ

               

              だからアジアの国に行ったら ひたすら ペコペコあやまって

              私たちはそんなことはいたしませんと 言えばよいと思っている

               

              そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると

              自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて

              うわべや 口先では 済まなかった悪かったと言いながら

              ひとりよがりの 自分本位の えらそうな態度をする

              そんな 今の日本人が 心配だ

               

              本当に どうなっちまったんだろう

              日本人は そんなはずじゃなかったのに

              本当の日本人を知っているわたしたちは

              今は いつも 歯がゆくて くやしい思いがする

               

              自分のことや 自分の会社の利益ばかり考えて

              こせこせと 身勝手な行動ばかりしている

              ヒョロヒョロの日本人は

              これが本当の日本人なのだろうか

               

              自分たちだけで 集まっては

              自分たちだけの 楽しみや ぜいたくに ふけりながら

              自分がお世話になって住んでいる

              自分の会社が仕事をしている

              その国と 国民のことを さげすんだ眼でみたり バカにする

               

              こんな ひとたちと 本当に仲よくしてゆけるだろうか

              どうして どうして日本人は こんなになってしまったんだ

               

              1989年4月 クアラルンプールにて

               

              彭榮次=台湾・李登輝前総統の側近。

              2000年、訪台した小林よしのりに語った言葉

               

               台湾は数百年もの間、3つの言葉が入り乱れていた。しかし日本によってやっと1つの言葉を得た。そして日本は台湾に「アイデンティティー」という概念と「戦争」というロマンを持ち込んだ。我々はそんなこと考えたことなかったから熱狂した。我々は夢中になったんだ。けど突然見捨てられたんだ「あなたたちは日本人ではありません」(引用者注:日本の敗戦のこと)。

               

               だから、私たちは親から「お寺に行け」と言われた。昔、道教の寺では中国の古典を教えていた。寺子屋のような感じだったから、そこで中国というものを学んだよ。けど実際に入ってきた中国は全く違った。

               

               日本は「いさぎよさ」「切腹」の概念を我々台湾人に残していた。中国の価値観は「どんな汚いことをしても生き残る」というものだ。我々台湾人に受け入れられるはずがない。だから、二・二八事件ではその2つの価値観が衝突して負けたんだよ。負けるのは当たり前、だってこっちは「いさぎよく死ぬ」という価値観なんだから。だからみんなバタバタ死んじゃった。

               

               日本は今、中国とペタペタしてるようだが、日本と中国が仲良くできるはずがない。そのコンフリクトが台湾だ。日本にはすでに死んでしまった価値観が台湾に残ってる。日本が台湾に置いていった価値観だ。我々の世代は下の世代に「言葉(日本語)」を残すことはできなかった。でも価値観は残せたと思う。

               

               台湾語に「あさり」という言葉がある。日本語でいさぎよいことつまり「あっさり」が台湾語として残ったのが「あさり」だ。「あさり」という言葉はそのまま台湾語でホメ言葉になっている。「あさり」は日本が台湾に残した日本精神(リップンチェンシン)なのだ。

               

              イビチャ・オシム=旧ユーゴスラビア(ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ出身のサッカー選手、指導者。2006年、日本代表監督に就任。

              日経新聞2007年1月31日付インタビュー記事より

               

               千葉の監督になって驚いたことの一つが、負けチームにサポーターがブーイングではなく“次はがんばれ”と励ますことだった。どうもこの国には結果だけにとらわれない文化がある、ということに気づいた。

               

               日本には豊かであることを逆にコンプレックスに感じているサッカー関係者がいる。ハングリーでないと。でも、経済的に恵まれ、何でも選べる中からあえてプロを選んだ日本の選手にはサッカーをする喜びがまだある。そこは欧州のカネまみれのサッカーより、ずっといいと私は思う。

               

               日本に来てサッカー観が変わった。日本に感化され、同化したという意味ではない。それでは皆さんもつまらないし、私が監督をするメリットもない。ともに働きながら、日本人の面白さに感じ入った、ということです。何というか……日本のアンビバレントなポリバレント性に。民主主義を原則としながら天皇制があるみたいな。みんなを尊重するやり方といいますか。

               

               

               

              ひとつだけ。

              「天皇制」というのは、日本で共産思想を広めようとしている者達が作り出した言葉ですから要注意。

              何かを倒さなければ、「革命」となりませんから。

              では何と呼ぶか?

              「すめらぎ(天皇)」という呼び方にある古より連綿と国を統(す)めることを旨としてきた皇統、あるいは、君と知らしめられた民との結び付き。。

               

               

               

              あまり抜粋になりませんでしたアセアセ

               

              ブログ「ぼやきくっくり」

              ■【一覧】「外国人から見た日本と日本人」

              こういう人名だけでまとめられた一覧も作られています。長いシリーズですから、じっくり読み進めるのにも、これはというエントリーを選ぶのにも、見やすいものとなっております。

               


              ノートの先に広がる未来(転載)

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                 すこし集中して書きものをしたくて、近所の図書館に足をはこんだ。自習室に机が並べられ、中高生が勉強している。彼らと同じように、図書館で勉強しながら将来の不安に駆られていた自分を思い出しつつ、列に加わり書きものを始める。

                 高校生の頃の僕は獣医を志望し、北海道の大学に進学することを夢見ていた。その希望はかなわず福岡に進学することになったが、思いのほか充実した日々となった。テニスやアルバイトに打ち込み、バイクを買って走り回り、3年生では世界一周の船旅にも参加した。地質学の研究のため、甑島をはじめ九州各地の海岸線を歩いた。

                 博士課程で東京に進学すると国内外の調査航海に参加することになった。船酔いや挫折を踏みこえ、なんとか博士号をいただいた後は、研究分野を変えて研究者としての職を得た。海岸調査のためはるか南氷洋上で新年を迎え、南極観測隊の一員として南極内陸部でのキャンプ生活も経験した。

                 研究生活の中で、知識の体系が頭の中で組み立てられてゆく快感を覚える一方で、人類の知識に自分が一つを加えることの重みを知った。同時に先人たちの努力の偉大さと積み重ねの尊さを実感した。

                 そして今、研究者をやめて役場の職員となり、自分の背景を全て生かした学びの場の提供や研究のサポート、野外活動の場づくりなどに携わっている。これから先の展開も、さらに大きく思い描いていることがある。

                 振り返ってみると、受験勉強をしていた頃には思いもつかないほどに卒業後の道は開けていた。当時志していた獣医とは全く違う未来に踏み込んでいるが、僕はこの人生に満足しているし、心から愛している。

                 こうした全ての活動の土台が、図書館に座り英語や数学の問題に向かいあっていたあの頃の自分にある。同じように今、図書館に並んで座っている彼らがノートに刻む一文字一文字の先にも、それぞれの将来が広がっている。

                 大学進学の際に獣医ではない選択をしたのは、実はセンター試験に失敗したからだ。ゆくゆく動物に携われそうな生物学科を受験したがそこにも通らず、第2希望として書いた地球惑星科学科に拾ってもらったことが今の自分につながる。もし希望通りの獣医学科に進学できていたら、僕はどんな心境で今を迎えていただろうか。これほどの意外性やそこからくる面白さはなかったかもしれないが、また別の形で満足した人生を過ごしているような気もする。

                 獣医の道を諦めること、研究分野を変えること、研究者をやめること、など深く悩みながら3度決断した。当時はその選択にその後の人生の全てがかかっていると思いこみ悩んだが、今は選択の結果だけで将来が決まるものではない、と言える。選択の後に、自分に恥じない行動を重ねられれば、満足できる今をつくることができる。それはどの道に進んでも同じことだ。

                 目の前で図書館の机に向かっている中高生に伝えたい。受験の結果はどうあれ、そこから開ける自分の未来を信じきってほしい。その先で努力を続ければ、必ず道は開ける。だから今は安心して悩み、考えぬいてほしい。

                ______________________________________

                大岩根 尚(おおいわね ひさし)氏

                三島村地球科学研究専門職員。1982年宮崎市生まれ。博士(環境学)。元南極観測隊員。2013年10月、専門職員に採用され、同村の日本ジオパーク認定(15年9月)に尽力した。

                ______________________________________

                 転載元:南日本新聞朝刊 11月27日掲載分

                 

                 

                 

                私達がしなければならないことは、その努力が報われる社会を守ること。

                 


                議論のしどころと国の繁栄と(天皇陛下のお気持ち)

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                  天皇陛下が象徴としてのお務めについてのお気持ちを表明してから、早数ヶ月が経とうとしています。

                  陛下の意向を表すのにメディアがよく使う、生前退位という耳慣れない言葉。

                   

                   

                  「譲位」と「退位」

                   

                  退位とは、君主が生きている内に、自らの意志でその地位を手放すこと。

                  (Wikipedia(フリー百科事典)より)

                   

                  継承者の即位は、君主の死によるものなのか、あるいは、その地位を自ら手放したことによるものなのか。

                  後の時代に振り返った時に、分かりやすく「こういう理由で生前退位し、しかるべき継承者に譲位した」と歴史書に表記することはあるかもしれません。

                  さりながら、まだご存命なのに、「生前」という言葉をわざわざ付けるのは不埒なることではないでしょうか。

                   

                  今現在、「生前退位」以外の表記に統一している報道機関は、朝日新聞の「退位」。それから、産経新聞が遅ればせながらと断りの上で最近決定した「譲位」。このふたつのみと聞き及んでいます。

                  NHKですら、「生前退位」と連呼するから、胸が痛む。

                   

                  読者や視聴者の心情に想像が及ばない。手続きを丁寧に重ねようともしていない。

                  「生前退位のご意向」とセンセーショナルにNHKに独占スクープされたそのままで、陛下がお気持ちを表明された後も変えようとしていない人でなしとしか思えません。

                   

                   

                  「退位」か「譲位」に絞るなら

                   

                  陛下のお気持ちに沿い、表明直後は「退位」と、この二文字のみなら適切であったと思います。

                  「自らその位を退く」のは何のためかと言えば、ひとつは祭祀や国の象徴としての務めが加齢のためおろそかになってしまうのではという懸念を払うため。それからもうひとつは国民や家族の負担を減らすため。

                  私の為に、長く喪に服すことはないというその御心。

                   

                  焦点がいかに憲法の庇護の下、退位による譲位を叶えるかという国の課題に移った今、その内容に沿うのは「譲位」となるでしょう。

                  立憲君主制の国においての譲位はこの国では初めて。そのために、陛下ははっきりとその言葉を口にすることは出来ず、内にある国を守る為という公の心を感じ取って守ることが出来るのは、国民のみ。

                   

                  国の中心に輝く権威は、失われることはない。権力は摂政を置けば摂政に、院政の時代は上皇にあった。外患を招いたり、争いの種にさせない難しさ。

                  民主主義からなる現代は、その権力は間接民主制で選ばれた総理が担う。

                   

                  天皇陛下は自ら抱く権威は、いついかなる時も、国民との信頼関係から成り立つことを知っている。

                  なるべく影響は小さく、自ら位を退き、皇嗣に譲ることを願っている。

                   

                   

                   

                  「議論」と「取捨選択」

                   

                  また、有識者会議は議論する場であるかのような報道に、しばしば違和感を覚えます。

                  いくつかの主張があって、中には相反するものもあるというのが議論です。これには落とし穴があって、いらない議題や思惑を滑り込ませてしまう危険があります。実際、やいのやいのと、女系天皇(母系に天皇の血を引く男女を含めた継承者)も認める道筋を付けるべきだ、この先血筋が途絶える恐れはないのか、という声が挙がります。

                  悠仁さまがいらっしゃるし、まだお小さいし、今しなければいけない論議でしょうか。愛子さまや悠仁さまが成人なさるまでに決めればいいこと。

                  「わたしの葬儀は簡素でいいよ。即位の礼に力を注ぎなさい」というお気持ちに応えるためにしなければいけないのは、考えられる法改正や法整備からの「取捨選択」に知恵を集めることで、「議論」ではない。

                   

                  一日も早く、御心が安んずることを願っております。

                   

                   


                  薩摩の文化(転載)

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                    久々に、地元の新聞に載っている日曜随想リレー「朝の文箱」からの転載です。

                     

                     

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                     薩摩の伝統文化である示現流、薩摩琵琶、天吹(てんぷく)を見せていただいた。たった半日ではあったが、解説や資料から、これらが単なる剣術や音楽にとどまらない人間教育の要素を多分に含んでいることが伝わってきて、深く興味をひかれた。

                     まずは示現流資料館にて、示現流の歴史や練習法を学んだ。周知のことだが、示現流ではとにかく速く刀を振りぬくことを修練する。その結果、薩摩の武士は、すべての剣術の中で最も速いといわれる攻撃力を得た。

                     一方で、鍔と鞘とを、紐や針金を使って結び、それを解かなくては抜刀できないようにもしていた。人を殺める最速の剣術を身につけるからこそ、むやみに人を傷つけることのないよう自らを律していく、との考え方を僕は素晴らしいと思った。

                     次に鹿児島神社にて、琵琶会を開いていただいた。初めて拝聴する薩摩琵琶の調べの中、歌詞の意味に思いを巡らせた。歌詞には自分こそがという矜持があり、自戒やたゆまぬ努力を勧め、敵方であろうとも情けをかけ、「もののあはれ」を解する挿話がそこにはあった。

                     薩摩の幼子たちは、稽古で繰り返し歌詞を歌う中から、その意味を体に染み込ませ、情緒や命のはかなさを理解していったのだろう。

                     続いて聴いた天吹は優しい音色で、神社の緑に溶け込むように柔らかいものだった。その音色を奏でる息遣いは示現流の呼吸法にも通じているとのことだが、長息を吐くことに、座禅のような心を鎮める効果もありそうだ。

                     今回、薩摩の伝統文化に触れる機会を得て、これらの人間教育としての奥深さに感銘を受けた。特に一人の人間に一点集中型の圧倒的な突破力と、相手を思いやる人間性をともに育てていこうとする工夫に、僕はたいへんな魅力を感じた。そして、これは現代にも通用する教育ではないか、と思った。

                     「テクノロジーだけでは足りない。リベラルアーツや人間性と結びついたテクノロジーこそが、我々の心を震わせるのだ」。スティーブ・ジョブスはそう語ったが、この言葉は「テクノロジー」だけでなく、知識、技術、身体能力、地位、権力、お金など、何にでも置き換えて使われるべきだと僕は思う。

                     努力を重ねて高いレベルの何かを手にしたときに、それをどう使うのか。使い方を方向づけるのが「人間性」だ。薩摩の先人たちは、示現流、薩摩琵琶、天吹など、独自の文化を通じて、人間性をも高めてきた。だからこそ幕末、多くの偉人を輩出し、強国となれたのではないだろうか。

                     人間性というのは、学力テストの点数のように、明確な測定基準がない。それゆえに、現代の学校教育では重視されていないが、養成に20年、30年かかる代わりに、国を支える底力となるものだ。

                     「国家百年の計は教育にあり」という。だが、人間性教育を重視してきた鹿児島にあっても、その文化の伝承が力強いものとは決していえなくなってきている現実に、強い危機感を抱く。薩摩の文化の価値を改めて見直し、日本のために受け継ぐべきだ。よそ者ながら、僕もその一助となりたい。

                     

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                    大岩根 尚(おおいわね ひさし)氏

                    三島村地球科学研究専門職員。1982年宮崎市生まれ。博士(環境学)。元南極観測隊員。2013年10月、専門職員に採用され、同村の日本ジオパーク認定(15年9月)に尽力した。

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                     転載元:南日本新聞朝刊 9月18日掲載分

                     

                     

                     

                    故郷のことを改めて文章にして褒められるとこそばゆいですね。

                     

                    天吹や薩摩琵琶は島津忠良の時代には既に重きを置かれていたそうです。島津忠良は戦国の世に生まれた島津家中興の祖。日新公として今も親しまれています。その日新公が若者のためにと5年余りの歳月をかけて完成させた47首の「日新公いろは歌」と呼ばれる一連の歌があります。

                    その中の何首かは鹿児島県職員への訓示として受け継がれてきたと聞きました。例えば、「と」。

                    「科(とが)ありて人を斬るとも軽くすな いかす刀もただ一つなり」 

                     

                    こういう伝統があることは有難いものです。

                     

                     

                     

                     


                    安定ヨウ素剤内服ゼリーの配備決定(原発関連記事に寄せて)

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                      ♪あなたのような人がいるから

                       

                        生きてることが素晴らしくなる♪

                       

                       

                      受け継がれる業(わざ)や技術。

                      それらを丹念に描くテレビ番組のオープニングソングです。

                       

                       

                      無性に好きで休みの朝によく見ていました。

                      例えば、凍り豆腐。

                      しんと晴れた青空の下、雪面にしいた簀の子に豆腐を一枚一枚広げていく。

                      夜の間に凍らせて。

                      自然解凍で幾日か、乾燥させて出来上がり。

                       

                      大豆から、豆乳。豆腐。凍り豆腐と。

                      どこを取っても体においしい。手間隙かけた美味しさ。

                       

                      技術と知識と洗練されていく道具。

                      これらは年月を重ねれば更に深みを増し、改善されていきます。

                       

                       

                      検証を重ねること。これが大事。

                       

                      震災後、停止されていた原発の再稼働にあたり、原子力災害防止対策のひとつとしてより重要視されているのが、住民避難計画の充実です。

                      PAZ内での乳幼児の避難は、他の住民より一歩早く行うこと。

                      PAZより以遠では、避難の際の集合場所や避難所等において、乳幼児ものめる安定ヨウ素剤調製ができる体制を日頃から整えておく。事態が進み、PAZ外で避難や一時移転に伴う安定ヨウ素剤の服用指示があった時には、それに合わせて配布と服用を行う。

                       

                      この中の、安定ヨウ素剤の調製を薬剤師などが行うことによるタイムラグの可能性が以前から指摘されていました。

                      国の要請を受けて、医薬品メーカーの日医工がゼリー状タイプの製造を始めました。この9月にも配布開始となることを目指しています。以下まとめてみました。

                       

                       

                       内閣府は今秋以後、原発の半径30キロ圏に入る自治体に対し乳幼児が服用できるゼリー状の安定ヨウ素剤を順次配備すると発表した。今年度中に約30万包を各自治体に配備する。対象となる3歳未満の乳幼児は、全国で11万人余りとなる見込みだ。この中には原発5キロ圏(PAZ)内の対象者への事前配布も含まれる。

                       地方自治体では、北海道や鹿児島など原発の30キロ圏に入る21道府県と、核燃料の加工施設などがある神奈川、大阪、岡山の3府県が対象となる。

                       これまでは丸薬のみのため乳幼児は服用しづらく、避難が始まってから薬剤師がシロップ剤を調製するのを待たざるを得ない状況だった為、事故対応の課題となっていた。

                       国からの依頼を受けて日医工(富山市)が製造を始めた。国は自治体が必要量を購入できるよう財政支援する。

                       30キロ圏外の自治体でも希望があれば、来年度以降に配布を検討する。配布に合わせ、原子力規制委員会も配布と服用のガイドラインを見直す。

                       

                       

                      ヨウ化カリウム内服ゼリー16.3mg32.5mg「日医工」

                      配布が始まるゼリー状タイプの有効期限は3年。

                      生後1ヶ月までの新生児用と、生後1ヶ月から3歳までを対象にした2種類がある。

                      国等の指示に従い、1回1包を服用する。

                       

                      ヨウ化カリウム内服ゼリー13.5mg

                      (画像は生後1ヶ月までの新生児用)

                       

                      イチゴ風味。ミルクやお湯にも溶け、新生児でものめる。

                      飲み込む力が弱まった高齢者らも服用できる。

                       

                      〈効能・効果〉

                      甲状腺の内部被曝の予防と軽減

                       

                      〈使用上の注意点〉

                      溶かした後は、2時間以内に服用すること。

                      効果は服用後24時間。なるべくのむタイミングは被曝直前がよい(推奨:被曝前24〜被曝後3時間以内)

                       

                      少量のお湯かミルクに混ぜて授乳前にのませるとのみやすい。胃腸への負担も軽くて済む。

                      水のみで服用する場合は、食事が終わって30分経った頃が勧められる。

                       

                      (朝日新聞と産経新聞の13日配信の記事を参考及び一部引用させて頂きました)

                       

                       

                       

                      原発はインフラの一部です。

                      減価償却を考えれば、現実に沿って耐年年数が過ぎるまで稼働は続けるべきです。

                      問題となるのは内に「神の火」を抱えているからでしょう。

                      日本で初めて原発が動き出したのは1963年のことでした。それからもう半世紀。

                      「原発」と一口で言いましても、その間にどんどん改良は進んでいます。福島は古い第一世代の原発でした。よく言われているようにそれでも事故につながった全電源喪失は、地震の揺れではなく、津波によるものでした。同じく津波に襲われながら無事だった女川原発、福島第2原発の存在もあります。

                      世界を見渡せば、フランスは今だ「原発大国」であり、その技術提供を受けた中国は2030年までに「原発強国」を作ると今年初めに宣言しています。

                      日本も負けていません。使用済み核燃料の有害度が天然ウランと同程度まで減衰する期間は現状10万年であるところ、300年程度まで短縮するための開発が着実に進められています。国際的な協力の元、実用化までのロードマップも描かれています。

                      ベースロード電源のひとつとしての役割はまだ当分課せられるのが現状です。それに見合った対策、政策が求められています。

                       

                      新鹿児島県知事の、「不安だから原発を一旦止める」という感情論に根ざした主張。

                      「不安にとらわれた日々」と「技術の停滞」と「危険性の増大」は同じものではないでしょうか。

                      原子力発電は、稼働中の原子炉を一度止めれば少なくとも3、4年は冷やし続けなければいけません。その間の経済的損失は技術継承の不備も含めれば電力会社そのものを揺るがしかねませんし、安易に停止されれば、再稼働を心待ちに耐えていた住民の生活が再びないがしろとなります。

                       

                       

                      「決意」は人を元気づけるといいます。楽な生活、ストレスのない生活ではない。

                      進歩はまた、その国を活気づけ、より安全で豊かな生活を国民にもたらすのではないでしょうか。

                       

                       

                       

                      進取の気風ってそういうことでなかね。

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                      (追記)12/6

                      資料の修正に合わせ、加筆・添削を行いました。

                       

                      参考資料:安定ヨウ素剤の配布・服用に当たって(原子力規制庁)

                       

                       

                       



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